今日のできごと


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2020/10/19(月)

 

誰と結婚するか?

1.たった一人を選ぶ決断

 誰と結婚するかは、大きな決断です。
 ある場合は、親などによってなかば強制的に決められてしまう場合も
 ないことはないですが、ほとんどは自らの決断によります。

 多くの人の中から、たった一人を選ばないといけないのです。
 そして自分が選んでも、相手が選んでくれなければ成立しません。
 また、その人のすべてを知り尽くしてから、結婚するわけでもありません。

 まだすべてを知らないうちに、出会って数年ほどで
 早い人は数か月のうちに、「この人と結婚しよう」と結婚の決断をして
 夫婦となり、家庭を築いていくのです。

 考えてみれば、ものすごい決断だと思います。
 ただ、どの人と結婚するかということも大きな決断ではあるのですが、
 「この人と結婚します」という結婚の決断よりも、

 結婚後「どんなことがあっても、この人を愛し続けていきます」
 という決断の方が、より重要になってきます。

2.ひとりを選ぶ決断をした後の愛し続ける決断

 誰と結婚したとしても、人間である以上完璧な人はいません。
 どんなに外見が良くても、性格が良さそうに思えても、完璧ではありえません。
 ですから結婚後、完璧でない面がいろいろと見えてきたりします。

 〇〇はうまいけれど、□□は下手だった、
 △△はできるけれど、××はほとんどできない、
 ■■をやめてほしいのに、いつまでたってもなおらない、

 などなど、一緒に近くで生活していくにつれてわかってきます。
 完璧な人などどこにもいませんから、当然といえば当然のことなのです。
 ですから、相手に完璧を求めてはならないのです。そんな相手を、受け入れ合うのです。

 たとえ、□□が下手で××はほとんどできず、
 ■■がいつまでたってもなおらない相手であっても、
 その人を愛し続けていく決断をして、それを実行に移していくのです。

3.互いに神に愛されている存在であることを認め合う

 完璧でなくても、多くの欠点を持っていたとしても、
 忘れてはならないのは、二人とも「神に命がけで愛されている」という点です。
 お互いに、相手が「神に愛されている大切な存在だ」と認め合う必要があります。

 神がひとり子をお与えになる程、命がけで愛しておられるその人を、
 自分もそのように、愛さないわけにはいかないのです。
 神が愛されたように愛して、共に生きていくのです。大事なことは、愛することです。

 いかに相手を、生き生きと生かすか、
 いかに相手が、いつも笑顔でいられるようにするか、
 いかに相手が、充実した人生を生きて行けるようにするか

 それを「考えて、決断して、実行していく」それが、結婚生活になります。
 互いに神に愛されて生かされている存在であることを認めて、自分もまた愛し続けていく
 この決断こそが、重要なのです。

むすび.結婚後の愛がより重要

 相手を生き生きと生かす、その最低の条件は「貞操を守り続けること」です。
 これが土台です。ここが崩されると、夫婦関係は破綻します。
 夫婦関係が破綻してしまうと、家庭が崩壊してしまうのです。

 結婚した後に、相手の欠点や完璧でない点が見えてきます。
 けれども、だからと言って貞操を破って良いのではありません。
 逆にだからこそ、ありのままの姿で受け入れていくのです。

 そこからが、本当の愛の実践になります。
 どんな人と結婚しようとも、相手は普通の罪人です。
 天使や、罪汚れのない王子様ではありません。

 ゆるすこと、忍耐すること、一緒に居ること、
 話をよく聞くこと、などが必要となってきます。
 いかに相手を愛して、相手を生き生きと喜んで生きるようにするか

 そこに結婚のだいご味があるのです。
 誰と結婚するかよりも、結婚した後の愛し方が
 問われているのです。

 【今日の聖書】
 キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。
 妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。
 キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、
 夫は妻の頭だからです。
 また、教会がキリストに仕えるように、
 妻もすべての面で夫に仕えるべきです。
 夫たちよ、キリストが教会を愛し、
 教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。
 エフェソの信徒への手紙 5章21〜25節


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