今日のできごと


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2020/1/26(日)

 
境水道 弥生緑地

トマス

 トマスという人物が、聖書に出てきます。
 イエス・キリストの12弟子のひとりです。
トマス

トマス

 ギリシア語の「トマス」は、ヘブライ語から来ています。
 ヘブライ語の意味は、「ふたご」です。
ふたご

ふたご

 「ふたご」と言う意味ですがトマスが、「ふたご」で生まれたかどうかは不明です。
 こどもが「ふたご」で生まれた時に、両親がそのひとりの方に「ふたご」
 などという名前を、はたして付けるでしょうか?

 おそらく、つけないでしょう。
 ところがおもしろいことに、トマスのあだ名は「ディディモ」なのです。

 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、
 ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、
 それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。
 ヨハネによる福音書 21章2節

 「ディディモと呼ばれるトマス」とあります。
 「ディディモ」というのは、ギリシア語で「ふたご」という意味です。
ディディモ ディディモ

ふたご

 ということは、もしかしたらトマスは本当に「ふたご」だったのかもしれません。
 では「ふたご」のもう片方の名前は、何と言ったのでしょうか?
 そちらは普通の名前だったのでしょうか?

 もしかすると、トマスの本名がトマスではなかった可能性もあります。
 「ふたご」だったので、「ディディモ」とか「トマス」と呼ばれていたのかもしれません。
 ありふれた名前の場合、区別のために違う呼び名を使う場合があったようです。

 バプテスマのヨハネとか、マルコと呼ばれていたヨハネなどがその例です。
 ヨハネという名前は、ありふれていたため、
 名前の前に修飾語をつけたり、別の名前で呼んだりしていたようです。

 そのトマスは、イエス・キリストに選ばれて、12弟子のひとりになっています。
 復活のイエスとも会っていますし、ペンテコステの日に聖霊に満たされてもいます。
 もし「ふたご」だったとして、片方しか12弟子に選ばれなかったのでしょうか?

 聖書の中に、「ふたご」のもうひとりの方の記述が一切見られません。
 仮に「ふたご」だったとして、トマスとは一緒に行動していなかったのでしょうか?
 どこかに養子に出されて、トマスと一緒にはいなかったのでしょうか?

 あるいはその頃には、すでに死んでしまって地上にはいなかったのでしょうか?
 あるいは、そもそも「ふたご」で生まれはしたけれども、
 トマスしか、生きて生まれて来なかったのでしょうか?

 トマスは、「自分は『ふたご』で生まれたけれど、
 自分しか生きられなかった」という
 重い過去を背負って、生きていたのでしょうか?

 そこの所は、まったくわかりません。想像するしかありません。
 大事なのは、このトマスが、イエス・キリストの復活の時
 その躓きとなっていた疑いを払拭されて、イエスを神の子と信じていることなのです。

 トマスは答えて、
 「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
 ヨハネによる福音書 20章28節

 「ふたご」であろうとなかろうと、
 家族構成がどうであろうと、どんな過去を持っていようと
 そんなこととは一切関係なく大切なのは、イエスを神の子救い主と信じることです。

 トマスは信じて、ペンテコステの日には聖霊に満たされているのです。
 人間にとって重要なことは、どんな家庭に生まれて育つかということではなく
 自分の罪を認めて、罪をゆるして下さるイエス・キリストを信じることなのです。

 トマスは、イエス・キリストを信じたのです。
 もし「ふたご」だったとして、もう片方はどうなったか?
 それは聖書には記されていませんから、詮索する必要はありません。

 【今日の聖書】
 これらのことが書かれたのは、あなたがたが、
 イエスは神の子メシアであると信じるためであり、
 また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
 ヨハネによる福音書 20章31節


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