今日のできごと


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2020/1/16(木)

 
ビオラ

男は怒らず争わず

1.怒らず争わないことが求められている

 怒り争うのが、日常茶飯のような世界ですが、
 神は決して、そのようなことを願っておられません。
 清い手をあげて、どこでも祈ることを求めておられます。

 だから、わたしが望むのは、
 男は怒らず争わず、
 清い手を上げてどこででも祈ることです。
 テモテへの手紙一 2章8節

2.聖霊によって怒りは抑えられる

 聖霊の結ばせる実は、自制です。
 聖霊によって、怒りの感情を制することができます。
 逆に言うと、聖霊によらずに怒りの感情を制することは非常に困難です。

 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、
 誠実、柔和、節制です。
 ガラテヤの信徒への手紙 5章22〜23節(前半)

節制

節制、自制、克己

節制:度を越さないように、様々な欲望や欲求を抑えて
   適度に控えること。欲望を抑制すること。

自制:他人によらず
   自分自身で自分の欲望・感情をおさえること。

克己:自分に打ち勝つこと。 心の中に起こる
   衝動・欲望を意志の力によっておさえつけること。


3.怒りの感情に負けてしまう弱い私たちを聖霊が助けて下さる

3.1 聖霊は怒りの感情を押さえ平安を与える

 どうしても、怒りの感情に負けてしまうのが、私たち罪人です。
 祈って聖霊による自制心を頂いてはじめて、感情をコントロールできるようになります。
 負けっぱなしでも、理不尽な目にあっても、誤解されても、怒られても、怒鳴られても

 怒らずに、平安な心でいられるようになるのです。
 聖霊の実のひとつは、平安だからです。

節制

平和

@平和,泰平,戦いや迫害が止んだ時の平穏
A人と人との間の融和,和合,和睦
B安全,無事,シャローム,健康,福祉
C[パウロ書簡で]「恵みと平和」また「神との平和」
 「霊的平安」や和睦・和解というより神から人に与えられる
 『究極の平和』


3.2 パウロとシラスは理不尽な目にあっても怒り争わなかった

 パウロとシラスは、どんなに鞭打たれようとも蔑まれようとも
 フィリピの牢獄の中で、まさに怒らずに賛美し祈っているのです。

 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、
 ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。
 使徒言行録 16章25節

 元々パウロも、血気盛んな熱情的な気質だったようです。
 家々に押し入っては、イエスを信じる者を投獄していた人なのです。
 バルナバとも、激論を交わしています。

 しかしフィリピのパウロの姿を見ると、怒りを制御しているように見えます。
 ひどい目に合わされているにもかかわらず、怒り憎しみを噴出させず
 何と賛美し、祈っているのです。模範的姿を、ここに見ることができます。

3.3 イエス・キリストは十字架の上で怒らず愛し通された

 一番の模範は、イエス・キリストです。
 十字架の苦しみを受け、痛みの極みをなめておられた時に
 決して怒っていないのです。怒りではなく、逆に愛と赦しの言葉を語っているのです。

 そのとき、イエスは言われた。
 「父よ、彼らをお赦しください。
  自分が何をしているのか知らないのです。」
 ルカによる福音書 23章34節(抜粋)

むすび.十字架の上で怒らず愛し通されたイエス・キリストを模範にする

 私たちは、感情に動かされやすいものです。
 衝動的に行動しやすいものです。
 しかし、聖霊によって助けられるなら感情は見事に制御できるのです。

 パウロとシラスに、その姿を見ることができます。
 そして一番の模範は、イエス・キリストなのです。
 キリストを模範にして、聖霊の助けを受けて、怒らずに歩んでいきたいと願います。

 【今日の聖書】
 だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、
 清い手を上げてどこででも祈ることです。
 テモテへの手紙一 2章8節


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