瞬電
3日から4日にかけての夜間に、落雷か何かで瞬電したようで
その結果、光終端と、ルータが再起動してしまったようです。
(もしかしたら、瞬電でなくしばらく停電状態だったのかもしれませんが……)
ルータが再起動してしまうと、どうなるでしょうか?
プロバイダ側の、インターネットの接続パスワードを変更していなければ、
何の問題もないのですが、パスワードを変更していると大変なことが起こります。
再起動後に、古いパスワードの設定のままで接続しに行こうとして、
パスワードでエラーになってしまい、接続できなくなってしまうわけです。
夜間に瞬電があると、朝になって大騒ぎになるわけです。
昨日の夜までつながっていたのに、朝になったらつながらない、
なぜか突然ルータのネットログインの「ポップアップウィンドウ」が現れ、
そこから先に進めないということになってしまうのです。
プロバイダ側のパスワードを新しく変更したら、
ルータ側のパスワードも、新しく変更しなければなりません。
新しいパスワードには、新しいパスワードで設定しないといけないのです。
聖書には
「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。
と言う言葉があります。
律法を行うことによって、神の前に義とされようとしても無理です。
人間は罪人なので、できません。自分が罪人だということが
明確になるだけなのです。
けれども、人は律法の実行ではなく、ただ
イエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、
わたしたちもキリスト・イエスを信じました。
これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって
義としていただくためでした。
なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。
ガラテヤの信徒への手紙 2章16節
キリストが来られる以前は、一生懸命律法を守ることによって
神の御前に義とされようとしていました。
しかしそれは、無理だったのです。律法では義とされ得なかったのです。
肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。
つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、
その肉において罪を罪として処断されたのです。
ローマの信徒への手紙 8章3節
律法の行いではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって
私たちは義とされるようになったのです。
もはや律法を一生懸命守るという行いは、義とされるためには不要となったのです。
律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。
なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。
ガラテヤの信徒への手紙 3章11節
新しくイエス・キリストを信じる信仰によって救われるという
救いの道が提示されたので、もはや昔のように割礼を受けたり、
過越祭などの祭りをして、動物のいけにえをささげたりする必要はなくなったのです。
イエス・キリストを信じれば救われるのですから、
古い律法の実行は、しなくてよくなったのです。
【今日の聖書】
新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。
そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。
新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。
そうすれば、両方とも長もちする。」
マタイによる福音書 9章17節