今日のできごと


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2019/9/20(金)

 

終戦後の教会と現在の教会の違い

1.珍しかったケーキやオルガン

 第二次世界大戦直後、外国から多くの宣教師が日本にやって来ました。
 諸外国の文化と共に、キリスト教が伝わってきました。
 単にキリスト教の教えが入ってきただけでなく、文化も一緒に入ってきました。

 当時の日本の家庭にはオーブンなどなく、ケーキを作ることなどしなかった時に
 教会の宣教師は、オーブンを使ってケーキを焼いてふるまい
 当時の家庭に、オルガンなどなかった時に、教会にはオルガンがあったわけです。

 それだけでも、当時の最先端を走っていたわけで
 ケーキが食べられるから、オルガンがあるからと言った理由で
 物珍しさもあって、教会に多くの人が訪れたと言います。

 さらに「宣教師から英語が学べるから」
 「英語の聖書がもらえるから」と言った理由で来た人や、
 「ノートや鉛筆がもらえるから」等の理由で来る子供たちも、大勢いたようです。

2.珍しくなくなったケーキやオルガン

 けれども、現在はケーキやオルガンや英会話は教会に行かなくても
 巷にあふれています。ノートや鉛筆も、誰もが安く手に入れることができます。
 当時と違って、教会でそれらを提供したところで、珍しくも何ともないわけです。

 今でも、美味しいケーキを提供すると、多くの人が教会に来ますが
 教会に行かなければ、ケーキが食べられないというわけではありません。
 今やコンビニでも、多種多様な美味しいケーキが売られている時代です。

 終戦後は、ケーキやオルガンは教会が最先端を走っていましたが
 今や、それらはどこにでもあるものです。
 教会に行かないと食べられない、見られない、聞けないものではないのです。

 ここが当時の教会と、現在の教会の大きな違いです。
 当時の教会は、新しい外国の文化を紹介するという役割も担っていたのです。
 けれども今ではそれらが当たり前に入って来ていて、日本流にアレンジされています。

 現在の教会に、当時の教会に色濃く存在していた
 外国の文化を紹介するという機能は、なくなっているのです。
 本来教会は、外国の文化を紹介するためにあるのではありません。

3.教会の本来的な存在目的

 教会は、オルガンがあるからケーキが食べられるから英会話が学べるから
 だからそこに行くという所ではなく、もっと本来的な動機で行くところです。
 はじめは、いろんな動機で教会の集まりに行くかもしれませんが、本来的には

 「神を礼拝することこそ、人間の本来的な生き方だから」行くところです。
 「神の言葉こそ、私を生かすものだから」メッセージを聞きます。
 「神と人を愛するために集まることこそ、必要だから」共に交わりを持つのです。

 だからこそ、私たちは教会で集まって礼拝し、
 交わりを持って、互いに愛し合い一つになっているのです。
 だからこそ教会として、集まっているのです。

 素晴らしい神を愛して賛美するために、素晴らしい楽器を使用するのです。
 神に愛されているひとりひとりを愛するがゆえに、ケーキを出すのです。
 愛するがゆえに、プレゼントがあったりするのです。

 【今日の聖書】
 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、
 その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、
 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、
 あなたがたを愛に根ざし、
 愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
 エフェソの信徒への手紙 3章16〜17節


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