干満の差が少ない山陰の日本海
太平洋側に住んでいると、潮の満ち干で海面の高さが大きく変わることを
体験的に知っていますので、大潮などで潮が引いて浅瀬が表われた時に
そこで遊んでいても、やがて潮が満ちて深くなるから危険だと考えます。
しかし山陰の日本海側では、潮の満ち干によってそれほど海面の高さが
変化しないということです。太平洋側から来た人たちはそれに驚くそうです。
日本海側は、干満による海水面の上下がそれほど大きくないようです。
日本海側の常識と、太平洋側の常識に大きな差があると言えます。
干満に差がない方が、人々にとっては生活しやすいと思われます。
ただ潮干狩りは、うまくできないのかもしれません。
士師記の時代、イスラエルの人々は神に背き、敵の攻撃を受け、悔い改め、回復し、
また神に背きという、負のスパイラルに陥っていました。
1.民が神に背き → 2.神が敵に攻め込ませ →
3.民が苦しみの中で悔い改め → 4.神が士師を起こされ →
5.士師によって敵に勝利し → 6.敵の攻撃から解放されて回復する →
1.また民が神に背き → 2.神が敵に攻め込ませ →
3.民が苦しみの中で悔い改め → 4.神が士師を起こされ →
5.士師によって敵に勝利し → 6.敵の攻撃から解放されて回復する →
1.またまた民が神に背き → 2.神が敵に攻め込ませ →
3.民が苦しみの中で悔い改め → 4.神が士師を起こされ →
5.士師によって敵に勝利し → 6.敵の攻撃から解放されて回復する →
神に従っては背き、従っては背き、の繰り返しです。
私たちの信仰生活は、そうであってはならないことを、
反面教師的に、教えられる個所でもあります。
私たちは、常に神に従い続け、神に背くことのない信仰生活を
生涯、送り続けて生きていきます。
従ったり背いたりという波のない信仰生活を送っていきたいと願っています。
【今日の聖書】
イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、
彼らの神、主を忘れ、バアルとアシェラに仕えた。
主はイスラエルに対して怒りに燃え、
彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に
売り渡されたので、イスラエルの人々は八年間、
クシャン・リシュアタイムに仕えなければならなかった。
イスラエルの人々が主に助けを求めて叫んだので、
主はイスラエルの人々のために一人の救助者を立て、彼らを救われた。
これがカレブの弟ケナズの子オトニエルである。
士師記 3章7〜9節