神の御心を行う
今日の教区会で、教職同士の分かち合いがなされました。
その中で、神の御心を行うことについての話が出ました。
神の御心を行うことこそ、私たちの願いです。
けれども、そこにひとつの盲点が潜んでいました。
「神の御心を行う」というと、「あれをやろう!これをやろう!」と
何か、「行動すること」ばかり考えてしまいがちですが、
実際はそうではなく、神が「してはいけない」と言われていることを
「しないでいる」ということも、御心を行うことであるということを教えられました。
神が「してはいけない」と言われていることを
私たちが「してしまって」いては、神の御心を行っていないことになってしまいます。
本当になすべき神の御心を、行うことができなくなってしまうのです。
パウロに対する神の御心は、マケドニア州に行って福音を伝えることでした。
しかし当初のパウロの計画は、ビティニア州に行くことでした。
それを神はとどめられたのです。
もしあの時パウロが、神の命令を無視してビティニア州に行っていたとしたら
どうだったでしょうか?
マケドニア州に対する神の御心を、パウロは行えなくなってしまっていたのです。
ビティニア州に行かなかったからこそ、
マケドニア州に行って、神の御心が行えたのです。
神の御心を行うためには、神が「してはいけない」
と言われていることを、しないでいることが必要なのです。
実行することばかり考えないで、実行しないでいることをも
考える必要があるのです。
【今日の聖書】
ミシア地方の近くまで行き、
ビティニア州に入ろうとしたが、
イエスの霊がそれを許さなかった。
使徒言行録 16章7節