今日のできごと


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2019/4/24(水)

 
あやめ

不義を甘んじて受ける

 コリントの教会には、裁判沙汰があったようです。
 しかし、パウロは語っています。
 「そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。」

 裁判というのは、人が裁きますから間違いも起こります。
 すべてを完璧に正確に知ることなど、だれもできませんから
 そもそも、正しい裁きなど、誰もできないのです。

 できるのは神のみなのです。
 正しい裁きは、すべてを完璧に正確にご存知である神のみができるのです。
 人は「おそらくこれが正しいだろう」という、推測の領域を出ることができません。

 私たちは、神がおられることを信じています。
 ですから、すべてを神がご覧になっておられると信じます。
 そして神が、最終的に正しい裁きをしてくださると信じています。

 ですから、裁きはすべて神に任せるのです。
 私たちがすべきことは、赦すことであり愛することです。

 「父よ、彼らをお赦しください。
  自分が何をしているのか知らないのです。」
 ルカによる福音書 23章34節(抜粋)

 このイエスの姿に、倣うのです。
 そして、正しい裁きをして下さる方に、すべてをゆだねるのです。
 それも、イエスの姿が模範です。

 ののしられてもののしり返さず、
 苦しめられても人を脅さず、
 正しくお裁きになる方にお任せになりました。
 ペトロの手紙一 2章23節

 【今日の聖書】
 そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、
 既にあなたがたの負けです。
 なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。
 なぜ、むしろ奪われるままでいないのです。
 コリントの信徒への手紙一 6章7節


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