今日のできごと


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2018/4/24(火)



マナばかりで何もない!

1.神は荒野で食べる食糧「マナ」を与えられた

 イスラエルの人々は、エジプトを出た後、
 荒野を旅することになりました。
 文字通り荒野ですから、食べるものなど何もなかったわけです。

 そこで神は、不思議な方法で食べ物をお与えになりました。
 「マナ」です。

 朝には宿営の周りに露が降りた。
 この降りた露が蒸発すると、見よ、
 荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが
 大地の霜のように薄く残っていた。
 イスラエルの人々はそれを見て、
 これは一体何だろうと、口々に言った。
 彼らはそれが何であるか知らなかったからである。
 モーセは彼らに言った。
 「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。
 出エジプト記 16章13〜15節

 これが「マナ」と言われているものです。

 イスラエルの家では、それをマナと名付けた。
 それは、コエンドロの種に似て白く、
 蜜の入ったウェファースのような味がした。
 出エジプト記 16章31節

 神はエジプトを出たイスラエルの人々が、
 荒野で飢えることがないように、ちゃんと食べ物を与えて下さったのです。
 しかも週1日の安息日以外、毎日です。

2.民は「マナしかない!肉が食いたい!」と不平を言った

 素晴らしい神の恵みでした。
 しかし民はこう言ったのです。

 民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、
 イスラエルの人々も再び泣き言を言った。
 「誰か肉を食べさせてくれないものか。
  エジプトでは魚をただで食べていたし、
  きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。
 民数記 11章4〜5節

 神から、特別に「マナ」が与えられていたにもかかわらず、
 肉が食べたい!エジプトでは魚をただで食べていた!
 きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない!と言っていたのです。

 そしてマナについては、ケチをつけてしまったのです。

 今では、わたしたちの唾は干上がり、
 どこを見回してもマナばかりで、何もない。」
 民数記 11章6節

 神の恵みに文句を言い、そんなものよりほかが良いという
 そういう言葉を、語っているのです。
 神に対する不平不満です。

3.民の不平に対する神の裁き

 それに対して神は、大量のうずらを宿営の近くに落とされました。
 2アンマの高さに積もったというのですから、1アンマ45センチとして
 90センチです。雪のような高さに積もったわけです。

 さて、主のもとから風が出て、
 海の方からうずらを吹き寄せ、宿営の近くに落とした。
 うずらは、宿営の周囲、
 縦横それぞれ一日の道のりの範囲にわたって、
 地上二アンマほどの高さに積もった。
 民数記 11章31節

 民はそれを終日終夜そして翌日も集めて、
 少ないものも、10ホメルほど集めたと言います。
 1ホメル=230リットルですから、2300リットルです。

 民は出て行って、終日終夜、そして翌日も、
 うずらを集め、少ない者でも十ホメルは集めた。
 そして、宿営の周りに広げておいた。
 民数記 11章32節

 23リットルで、うずら8羽くらいでしょうか?
 23リットルで8羽とすると、2300リットルで800羽ほどになります。
 すごい量のうずらでした。

 人々はそのうずらに飛びつき、食べ始めます。
 それを食べていた人々は、どうなったでしょうか?

 肉がまだ歯の間にあって、かみ切られないうちに、
 主は民に対して憤りを発し、激しい疫病で民を打たれた。
 民数記 11章33節

 食べはじめたときに、肉がまだ口の中でかみ切られないうちに
 人々は、激しい疫病で討たれて死んでしまったのです。
 その場所は「貪欲の墓」(キブロト・ハタアワ)と呼ばれるようになりました。

   貪欲の墓(キブロト・ハタアワ)
   墓
   The
   欲望

 そのためその場所は、キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)と呼ばれている。
 貪欲な人々をそこに葬ったからである。
 民数記 11章34節

 神の裁きが下ったのです。
 民の不平不満は、神の前に罪だったのです。
 その裁きの結果、死ななければならなくなりました。

むすび.

 神が与えられたマナを、当然のものと思ってはなりませんでした。
 さらにマナしかないなどというのは、神の前に大きな罪でした。
 私たちは、不平不満が神の前に大きな罪であることを知らなければならないのです。

 世の中は、不平不満に満ちています。
 しかし神はそれを喜ばれません。逆に感謝をささげることを求めておられます。
 でもわかっていても、ついつい不平不満が出てしまい、

 それに捕らえられてしまいがちです。
 不平ではなく感謝をささげること、喜んでいること、
 それは自分自身の力ではできません。神の力を求めるしかないのです。

 祈り求めていきましょう!

 【今日の聖書】
 荒れ野で試練を受けたころ、
 神に反抗したときのように、
 心をかたくなにしてはならない。
 ヘブライ人への手紙 3章8節


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