雲が雨で満ちると地に雨が降る
今日は朝から雨です。
昨日の朝は氷点下でしたので、もし昨日だったら確実に雪だったでしょう。
今朝の最低気温が5.9度でしたので、今朝は雪ではなく雨です。
聖書には、「雲がもし雨で満ちるならば、地にそれを注ぐ」という言葉があります。
雲がもし雨で満ちるならば、地にそれを注ぐ、
コヘレトの言葉 11章3節(前半)
雲は微小な水滴によって形成されていますが、
その水滴が成長すると、やがて落下して雨になりますので、
「雲がもし雨で満ちるならば」という表現は、言い得て妙と言えます。
逆に言えば、「雲がもし雨で満ちなければ、地にそれを注ぐことはない」
ということになります。
水滴の成長が、落下するほどまでに至らなければ雨にならないわけです。
水滴が成長して重力に耐えきれなくなって、空中に留まれなくなり
落下せざるを得ないその大きさに達したら、雨として降るということです。
エリヤの祈りの時も、同じようなことが起きています。
アハブは飲み食いするために上って行き、
エリヤはカルメルの頂上に上って行った。
エリヤは地にうずくまり、顔を膝の間にうずめた。
「上って来て、海の方をよく見なさい」と彼は従者に言った。
従者は上って来て、よく見てから、「何もありません」と答えた。
エリヤは、「もう一度」と命じ、それを七度繰り返した。
七度目に、従者は言った。
「御覧ください。手のひらほどの小さい雲が海のかなたから上って来ます。」
エリヤは言った。「アハブのところに上って行き、
激しい雨に閉じ込められないうちに、
馬を車につないで下って行くように伝えなさい。」
列王紀上 18章42〜44節
エリヤは雨が降るように祈りましたが、6回までは雲一つない晴天でした。
何も起きていないのです。
しかし7度目に変化が起こります。
手のひらほどの小さい雲が海のかなたから上って来たのです。
祈りが満ちたのです。そして主のみわざが表されたのです。
祈りが満ちると、主のみわざがあらわれるのです。
【今日の聖書】
雨が雲に満ちれば、それは地に滴る。
南風に倒されても北風に倒されても
木はその倒れたところに横たわる。
コヘレトの言葉 11章3節