今日のできごと


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2019/2/11(月)

 
松江市総合体育館

変化の激しいバスケットボールのルール


 昨日と一昨日は、B.LEAGUE 2018-19 第21節の
 島根スサノオマジック VS バンビシャス奈良
 の試合が、松江市総合体育館で行われていました。

 TSK山陰中央テレビの中継車も入り、付近のコンビニは品薄になり
 かなりの人出だったようです。2試合とも島根スサノオが勝って、
 B2西地区1位になって、今シーズン初の首位になったようです。

 日本のバスケットボールのルールですが、この50年でかなり変化しています。
 45年前ごろは、フリースローの「スリー・フォー・ツー(three for two)」
 というルールはありませんでした。

 その後数年して、新たに「スリー・フォー・ツー」ルールが加わりました。
 けれども現在はこのルールはなくなってしまい、存在しません。
 1985年を境に、このルールはなくなりました。ほんの数年間のルールでした。

 その1985年に新設されたルールで大きかったのが、3ポイントシュートです。
 バスケットコート上に、3ポイントシュートのラインが引かれ、
 その外側からシュートを入れると、3得点できるようになりました。

 これは、コートのラインも引き直さなければならない大変革でした。
 その後も、20分ハーフが10分クォータになったり
 30秒ルールが24秒ルールになったり、トラベリングの基準が変わったりと

 新ルールができては、また変わり、
 新ルールができては、また変わりの繰り返しです。
 これは現在も続いています。昨年もトラベリングの基準が変わっています。

 2019年2月現在、制限区域の長方形化、ノーチャージセミサークルエリアの付加
 3ポイントラインの後退など、ルールの変化と共にコート上のラインも変わり
 昔とは、ほとんど違うイメージのコートになっています。

 このように、新たに加わったり、変化してしまったルールが多いので、
 昔のルールしか知らないでいると、今のゲームの審判はとてもできません。
 絶えず現役の監督やコーチなどでいないと、一度離れてしまうと審判は難しいでしょう。

 聖書の中でも、ある時を境に大きく変わったものがあります。
 それは神と人との契約で、「新しい契約」と呼ばれているものです。

1.「新しい契約を結ぶ日が来る」というエレミヤ書の預言
 

契約

新しい

 見よ、わたしがイスラエルの家、
 ユダの家と
新しい契約 を結ぶ日が来る、と主は言われる。
   エレミヤ書 31章31節

 主なる神は、「イスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る」
 と語っておられます。「今までの契約とは違う新たな契約を結ぶ」と予告されていました。
 それは一体、どんな契約でしょうか?

 この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取って
 エジプトの地から導き出したときに結んだものではない。
 わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、
 彼らはこの契約を破った、と主は言われる。
   エレミヤ書 31章32節

 「エジプトの地から導き出したときに結んだものではない。」
 と言われています。出エジプトの時の、あのシナイ山での契約
 「十戒」のことです。それとは違う契約を結ぶというのです。

 しかし、来るべき日に、
 わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。
 すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、
 彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、
 彼らはわたしの民となる。
   エレミヤ書 31章33節

2.神は律法を胸の中に授け心にそれを記すと言われた

 十戒は石の上に書かれた律法でしたが、
 新しい契約は、「胸の中に授け心にそれを記す」と言われています。
 外側から「やれ」と言われてやるような戒めではなく

 内側から本人の意志で、その動機が生まれ、育まれ
 それを行う、というようなものなのです。
 この箇所は、ヘブライ人への手紙で引用されて説明されています。

 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。
 「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、
   
新しい契約を結ぶ時が来る』と、
  主は言われる。

  『それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、
   エジプトの地から導き出した日に、
   彼らと結んだ契約のようなものではない。
   彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、
   わたしも彼らを顧みなかった』と、
   主は言われる。

  『それらの日の後、わたしが
   イスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、
  主は言われる。
  『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、
   彼らの心にそれを書きつけよう。
   わたしは彼らの神となり、
   彼らはわたしの民となる。

   彼らはそれぞれ自分の同胞に、
   それぞれ自分の兄弟に、
   「主を知れ」と言って教える必要はなくなる。
   小さな者から大きな者に至るまで
   彼らはすべて、わたしを知るようになり、

   わたしは、彼らの不義を赦し、
   もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』」

  神は「新しいもの」と言われることによって、
  最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。
  年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。

  ヘブライ人への手紙 8章8〜13節

 元々の契約「十戒」は、石の上に書かれた律法でしたが、
 古びてしまったと宣言されたのです。
 新しい契約は、「胸の中に授け心にそれを記す」と言われた契約で

 古い契約より、一層優れた契約なのです。
 それは古い契約を否定するものではなく、より一層実質の伴うものにする契約なのです。
 「殺してはならない」で終わらず、隣人を「命を捨てる程愛して生かす」のです。

 「姦淫してはならない」で終わらず、
  妻を「キリストが十字架で教会のために命を捨てられたように命がけで愛する」のです。
 「盗んではならない」で終わらず、隣人に「惜しみなく与える」のです。

 「偽証をしない」で終わらず、隣人に「どこまでも真実を語り真実を尽くす」のです。
 なぜ、自らの意志でそれができるようになるのでしょうか?
 それはイエス・キリストの十字架の血潮による、完全な罪の赦しを頂くからです。

 このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。
 ヘブライ人への手紙 7章22節

3.イエスはいっそう優れた契約の保証となられた

 イエス・キリストの到来によって、従来の律法に則って行われていた
 各種の規則が不要になりました。神殿での動物の犠牲、割礼、
 祭司制度などが、不要になったのです

 それまでは、聖所の第二の幕屋に大祭司が年に一度入って、
 動物の血によって罪の贖いをしていました。
 毎年ですので、有効期限が1年ということになります。

 毎年繰り返されていたわけです。
 繰り返さなければならないということは、
 完全なものではなかったことを、示しています。

 いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、
 そのものの実体はありません。
 従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、
 神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。

 もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、
 もはや罪の自覚がなくなるはずですから、
 いけにえを献げることは中止されたはずではありませんか。

 ところが実際は、これらのいけにえによって
 年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。
 雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。

 ヘブライ人への手紙 10章1〜4節

 毎年、罪の赦しのためにささげられるいけにえは、
 年ごとに、罪の記憶をよみがえらせるだけで、人を完全な者にはできなかったのです。
 しかし、イエス・キリストが完全な大祭司となられて

 十字架で贖いを完成して下さった結果、キリストによって
 完全な罪の赦しが与えられることになって、人間の祭司制度は不要になったのです。
 初めの律法には、「やがて来る良いことの影があるばかり」だと書いてあります。

 「やがて来る良いこと」こそ、完全な救い主「イエス・キリスト」のことだったのです。

 次いで、「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。
 第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。
 この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、
 わたしたちは聖なる者とされたのです。
 ヘブライ人への手紙 10章9〜10節

むすび.イエスを信じて完全な赦しを頂くという契約を受け取ろう

 今バスケットボールの審判をしたいなら、
 昔のルールでなく、今のルールを知る必要があります。
 昔のルールでは、誤審してしまうのです。

 今、神の前に罪の赦しを得て、永遠の命を受けたいなら、
 古い契約にあるような「動物の犠牲」を、神殿に行って、捧げるのではなく、
 古い契約が指し示していた、真の大祭司である

 イエス・キリストによって、罪の赦しを頂くべきなのです。
 イエス・キリストこそ、古い契約に指し示されていた完全な救い主なのです。
 イエス・キリストこそ、永遠の贖いを成し遂げられたお方なのです。

 【今日の聖書】
 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司として
 おいでになったのですから、
 人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、
 更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、
 御自身の血によって、ただ一度聖所に入って
 永遠の贖いを成し遂げられたのです。
 ヘブライ人への手紙 9章11〜12節


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