貧しかったにもかかわらず
貧しかったのに、神を愛して心から献げていた女性のことが
聖書に記録されています。レプトン銅貨二枚を献げた女性です。
貧しい中で、お金よりも神を求めて献げる姿に感動を覚えます。
私たちに本当に必要なのは、お金や物ではなくて
神ご自身だということを、明確に示してくれています。
私たちが本当に求めるのは、神ご自身なのです。
まさかこのやもめは、自分のことをイエスがほめてくれるとは
夢にも思っていなかったことでしょう。
逆に額の少なさに、恥ずかしさを覚えていたかもしれません。
この女性のことは、その後新約聖書に記録され
それ以降の世界中の人に、読まれて知られるようになるのですが
まさか、そんなことになるなどとは、思ってもみなかったことでしょう。
神に、どれ位献げているのか?ということではなく
どういう思いで、神に献げているのか?
ここが、問われているのです。
【今日の聖書】
ところが、一人の貧しいやもめが来て、
レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。
「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、
賽銭箱に入れている人の中で、
だれよりもたくさん入れた。
皆は有り余る中から入れたが、
この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、
生活費を全部入れたからである。」
マルコによる福音書 12章42〜44節