今日のできごと


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2019/12/26(木)

 

なぜ試練を受けるのか?

 コリントの信徒への手紙二によると、マケドニア州の教会は
 当時、苦しみによる激しい試練を受けていたことがわかります。
 極度に貧しかったとも言います。

 兄弟たち、
 マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。
 彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、
 その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、
 人に惜しまず施す豊かさとなったということです。
 コリントの信徒への手紙二 8章1〜2節

 激しい試練と極度の貧しさの中で、負けていませんでした。
 逆に満ち満ちた喜びの中にいて、人に惜しまず施していたのです。
 試練は喜べない理由にはならないことがわかります。

1.神が子として扱っておられるからこそ試練がある

 親は愛する子を鍛えます。
 試練こそが、神が私たちをご自分の子供としておられることの証拠です。
 神の子とされているからこそ、試練を与えて下さるのです。

 なぜなら、主は愛する者を鍛え、
 子として受け入れる者を皆、
 鞭打たれるからである。」
 ヘブライ人への手紙 12章6節

 だからこそ、試練を軽んじることなく疎むことなく
 それを喜んで耐え忍んでいくのです。
 神がなさることはいつも、私たちにとって最善なことだからです。

 「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
  主から懲らしめられても、
  力を落としてはいけない。
  なぜなら、主は愛する者を鍛え、
  子として受け入れる者を皆、
  鞭打たれるからである。」
 ヘブライ人への手紙 12章5節(後半)〜6節

2.神が私たちの信仰を成長させるために試練がある

 私たちは、どういう時に成長するでしょうか?
 試練にあった時にです。何もない時は、現状維持です。
 何もかもが順調に進んでいる時には、成長は望めません。

 試練こそが信仰を試し成長させ、忍耐を育んでいくのです。
 となれば、試練というのは私たちを大いに益するものということに
 ならないでしょうか。

 わたしの兄弟たち、
 いろいろな試練に出会うときは、
 この上ない喜びと思いなさい。
 信仰が試されることで忍耐が生じると、
 あなたがたは知っています。
 あくまでも忍耐しなさい。
 そうすれば、完全で申し分なく、
 何一つ欠けたところのない人になります。
 ヤコブの手紙 1章2〜4節

 なぜこんな試練が続くのか?と悩む時に、
 「そうだ!これこそ私を成長させてくださるための、
  神からの恵みなんだ」と信じるのです。

3.試練は天の大きな報いに続いている

 試練は、この世では大損に見えます。
 何で私だけが、こんな目に会わねばならないのか?
 何で、良いことをしているのに苦しみで返ってくるのか?

 義のために迫害される人々は、幸いである、
 天の国はその人たちのものである。
 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことで
 あらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
 喜びなさい。大いに喜びなさい。
 天には大きな報いがある。
 あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
 マタイによる福音書 5章10〜12節

 試練は大損に見えるとしても、実は天における大きな報いに続いているのです。
 天における大きな報いを、信仰の目をもって望み見て、
 大いに喜ぶのです。

 確かに、畑を耕して種を蒔くことは重労働です。きついことです。
 しかしそれは、豊かな収穫へと続いているのです。
 ですからたとえ重労働であったとしても、畑を耕して種を蒔き続けるのです。

むすび.試練こそが神からの私たちへの贈り物

 このように試練は、神の子どもとされていることの証拠であり
 神が私たちを成長させてくださるために、与えて下さっているもので
 それは天の大きな報いへとつながっているのだ、ということになります。

 マケドニアの教会の人々は、だからこそ大きな試練の中で
 喜びに満ち満ちていたのです。
 私たちは試練の中でこそ、大いに喜べるのです!

 【今日の聖書】
 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。
 その人は適格者と認められ、
 神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。
 ヤコブの手紙 1章12節


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