コミュニケーションの妨げ
コミュニケーションにとって大切なことは、聴くことです。
人の話をきちんと聴くこと、そこから健全なコミュニケーションが始まります。
ですから、人の話を聴かない行動をやめていく必要があるのです。
元々自己中心性をもっていますので、自分のことを話したくなります。
「自分語り」です。人の話を聴きつつも、ついついそこから自分のことを話し始め
相手の話を奪ってしまい、結局自分が話して終わってしまうのです。
本当に真剣に聴くなら、「自分語り」はしないのです。
すべて、相手が話すままにして聴くことに徹します。
もし相手の話をきちんと聴こうとしないなら、コミュニケーションは破綻します。
たとえ自分では「良いアドバイスだ」と思ったとしても、
相手の話を聴かないアドバイスは、相手に対する暴力になってしまいます。
相手を否定し傷つけて、倒してしまうのです。
聴くことは、本当に大切なことです。
聴くことのポイントは、2つあります。
1つは、先入観を捨てることです。自分の物差しで決めつけないことです。
ファリサイ派の人々や律法学者は、イエスは異端者だと決めつけ
その語ることはでたらめだと決めつけていたため、せっかくのイエスの話を
ちゃんと聞けなかったわけです。先入観は聴くことを妨げます。
2つ目は、途中で反論をしないことです。最後まで聴くことです。
最後まで聴かないと、誤解をしてしまったり
話の真意を、見抜けなかったりします。
ある時イエスは、自分の肉を食べ血を飲みなさいと語られました。
イエスは言われた。
「はっきり言っておく。
人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
ヨハネによる福音書 6章53節
それに対して、そこで聞いていた人々の多くはつまづいてしまうのです。
ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。
「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」
ヨハネによる福音書 6章60節
そして、イエスの元を離れて行ってしまったのです。
このために、弟子たちの多くが離れ去り、
もはやイエスと共に歩まなくなった。
ヨハネによる福音書 6章66節
しかし実は、この言葉は「霊」のことを言っていたのであり、
実際の肉体の肉や、身体に流れている血のことを語っていたのではなかったのです。
命を与えるのは“霊”である。
肉は何の役にも立たない。
わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
ヨハネによる福音書 6章63節
途中まで聴いて、反論が沸き上がり真意を悟らないまま
多くの弟子達が、去って行ってしまっています。
中途半端な聴き方は、真意を悟ることを逃してしまいます。
相手の話を聴きながら、それに対してどう反論しようかと考えているなら、
それは、聴いていることにはならないのです。
聴いているようで実は、自分の考えを相手に押し付けようとしているだけなのです。
隣人を愛するなら、隣人を受け入れます。
隣人を受け入れるなら、隣人の語ることをしっかりと最後まで聴くのです。
たとえ自分の考えと180度違っていたとしても、最後まで聴きます。
真剣に相手の話を聴くことこそ、愛の実行なのです。
【今日の聖書】
わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。
だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
ヤコブの手紙 1章19節