今日のできごと


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2019/1/29(火)

 
ホシハジロの雄(天神川)

主は苦しみの日の砦となってくださる

 本当に苦しい時、どうすればよいのでしょうか?
 誰にも理解してもらえず、ひとり苦しみ悩む時
 一体、どうすればよいのでしょうか?

1.ダビデは苦しみの極限状態で主によって力を奮い起こした

 ダビデも、苦しみの極限状態に置かれたことがありました。
 住んでいた町が、留守中に敵の手によって焼かれてしまい
 妻や息子、娘たちは連れ去られ、

 おまけに、一緒に戦いに行っていた民からは、
 石で打ち殺されそうになるのです。
 相談する相手も、いませんでした。

 祭司アビアタルはいましたが、ダビデは祭司に相談はしませんでした。
 そうではなく、祭司に「エフォドを持って来なさい。」と命じ
 主なる神に、託宣を求めたのです。

 そうです。ダビデはその神、主によって力を奮い起こしたのです。
 それこそ、私たちが見倣うべき大事な点なのです。
 ダビデが極限的な困難に陥った記事は、

 現在の私たちに、非常に大きな示唆を与えてくれるのです。

 ダビデとその兵が町に戻ってみると、町は焼け落ち、
 妻や息子、娘たちは連れ去られていた。
 ダビデも彼と共にいた兵士も、声をあげて泣き、
 ついには泣く力もなくなった。

 ダビデの二人の妻、イズレエルのアヒノアムと
 カルメルのナバルの妻であったアビガイルも連れ去られていた。
 兵士は皆、息子、娘のことで悩み、
 ダビデを石で打ち殺そうと言い出したので、ダビデは苦しんだ。

 だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起こした。
 サムエル記上 30章3〜6節

2.ダビデは苦難の中から主を呼び求めた

 私たちがダビデの態度から教えられるのは、
 苦しみの極限状況において、私たちは
 「主によって力を奮い起こす必要がある」ということです。

 そして主に祈り、主の語りかけを聴くということです。
 それこそが、私たちの一番の避けどころであり砦であり救いの岩である
 主なる神を、この上なく知る大きな機会なのだということです。

 ダビデの詩編にこうあります。

 主はわたしの岩、砦、逃れ場
 わたしの神、大岩、避けどころ
 わたしの盾、救いの角、砦の塔。

 ほむべき方、主をわたしは呼び求め
 敵から救われる。

 死の縄がからみつき
 奈落の激流がわたしをおののかせ陰府の縄がめぐり
 死の網が仕掛けられている。

 苦難の中から主を呼び求め
 わたしの神に向かって叫ぶと
 その声は神殿に響き
 叫びは御前に至り、御耳に届く。
 詩編 18編3〜7節

3.主こそ苦難の時の避けどころとなる砦

 苦しみのない人生など、ないでしょう。
 問題は、「苦しみにあった時にどうするか」なのです。
 「どこに助けを求めるか」「何により頼むか」ということです。

 ダビデはその神、主によって力を奮い起こしました。
 私たちもダビデに倣い、主によって力を奮い起こしていきたく願います。
 主こそ、わたしたちの岩、砦、逃れ場なのです。

 主こそ、わたしたちの神、大岩、避けどころ
 わたしたちの盾、救いの角、砦の塔なのです。
 苦しみの極限状況において、主により頼みましょう!

 苦しみの時に示された罪は、ことごとく捨て去り悔い改めて
 二度とそれをすることのないように、決断していきましょう。

 【今日の聖書】
 主は恵み深く、
 苦しみの日には砦となり
 主に身を寄せる者を御心に留められる。
 ナホム書 1章7節


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