罪人の頭
人間には、完璧を期すことができません。
完全無欠ということは、本来あり得ないはずです。
100%正しく生きれる人など、どこにもいません。
どうしても間違いを犯し、罪を犯してしまうのです。
罪を犯すことなく生きていける人など、ひとりもいません。
クリスチャンだろうが牧師だろうが、関係ないのです。
「クリスチャンだから罪を犯さない」
「牧師だから罪を犯さない」はずがないのです。
パウロは言っています。
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」
という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。
わたしは、その罪人の中で最たる者です。
テモテへの手紙一 1章15節
福音を伝えていた大伝道者パウロは、自分自身のことを
「わたしは、その罪人の中で最たる者です。」と語っているのです。
パウロは、自分が罪人の頭だと言っているのです。
「イエスを裏切ったイスカリオテのユダが罪人の頭だ」と言っていません。
「徴税人や、遊女たちや、犯罪者たちが罪人の頭だ」とも言っていません。
それよりも「自分が罪人の頭だ」と言っているのです。
【今日の聖書】
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」
という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。
わたしは、その罪人の中で最たる者です。
テモテへの手紙一 1章15節