今日のできごと


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2018/6/7(木)



自己義認

 自己義認は、世界中の誰一人としてすることができません。
 自分で自分は正しいと言えるなら、救い主は必要ないのです。
 自分ではどうすることもできないからこそ、救い主が必要なのです。

 私たちの罪を赦すために、イエス・キリストがこの地上にお生まれになって下さり
 十字架で尊い血潮を流して、死んでくださったからこそ
 私たちの罪は赦され、信じるだけで私たちは罪がゆるされるのです。

 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、
 神の恵みにより無償で義とされるのです。
 ローマの信徒への手紙 3章24節

 クリスチャンというのは、すなわち自分の罪を認め、
 イエス・キリストが、私の罪をゆるしてくださることを信じ
 その信仰を、人の罪を赦すことによって表している人々のことを言います。

 もし人の過ちを赦すなら、
 あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
 マタイによる福音書 6章14節

 赦されたのに人を赦さないなら、赦されたことを否定しているのと同じなので
 それは、赦しを信じていないことになってしまいます。
 ですから、どこまでも隣人の罪を赦していくのです。

 しかし、もし人を赦さないなら、
 あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
 マタイによる福音書 6章15節

 ですからクリスチャンは、自己義認はしません。
 あくまでも自分自身は、赦された罪人に過ぎないのです。
 私たちに襲い掛かる誘惑は、自己義認です。

 「私は正しい」「でもあの人は間違っている」
 この思いに打ち勝つ必要があります。
 自分自身が完全に正しいと言える状況は、ほぼあり得ないのです。

 もし私は完全に正しいですと言うなら、
 それは、「私には罪がありません」と言うのと同じです。
 とすると、次のみ言葉を否定してしまうことになってしまうのです。

 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています
 ローマの信徒への手紙 3章23節(抜粋)

 神を偽り者としてしまいますから、「私は完全に正しいです」と言うのは
 実は誤りなのです。今日も、自己義認の誘惑に打ち勝って、
 まず自分自身の罪に目を向けて、自分の罪から離れて生きていきたいと思います。

 【今日の聖書】
 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
  あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、
  自分の量る秤で量り与えられる。

  あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
  なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
  兄弟に向かって、
  『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、
  どうして言えようか。

  自分の目に丸太があるではないか。
  偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
  そうすれば、はっきり見えるようになって、
  兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
 マタイによる福音書 7章1〜5節


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