モーセはクシュの女を妻にしている!
1.モーセは兄姉からも非難された
モーセは、人々から非難され続けた人でしたが、
兄のアロンと姉のミリアムからも、非難されています。
ミリアムとアロンは、
モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難し、
「モーセはクシュの女を妻にしている」と言った。
民数記 12章1節
クシュはナイル川の上流で、エジプトの南にあるエチオピヤ地方と言われています。
したがって、「モーセは外国の女性を妻にしている、けしからん」という、
そういう非難だったわけです。
2.兄と姉の非難は神の定めに対する侵害行為にまで及んだ
彼らの非難はそれだけではありませんでした。
彼らは更に言った。
「主はモーセを通してのみ語られるというのか。
我々を通しても語られるのではないか。」
主はこれを聞かれた。
民数記 12章2節
主が立てられたモーセに対して、
「モーセだけが、主の言葉を語るのはおかしい!」
というのです。
ここまでくると、越権行為になってきます。
神がモーセを選ばれ、神がモーセによって語るようにされていたのですから
神の決められたことに対する、侵害行為になっているのです。
3.主は非難を聞かれ正しく裁かれた
主は、これをしっかりと聞かれていました。
そして直ちに、対処されているのです。
主は直ちにモーセとアロンとミリアムに言われた。
「あなたたちは三人とも、臨在の幕屋の前に出よ。」
彼ら三人はそこに出た。
民数記 12章4節
まず主は、モーセとアロンとミリアムに
「あなたたちは三人とも、臨在の幕屋の前に出よ。」と言われました。
そしてアロンとミリアムに対して、直接語りかけられるのです。
主は雲の柱のうちにあって降り、幕屋の入り口に立ち、
「アロン、ミリアム」と呼ばれた。
二人が進み出ると、主はこう言われた。
「聞け、わたしの言葉を。
あなたたちの間に預言者がいれば
主なるわたしは幻によって自らを示し
夢によって彼に語る。
わたしの僕モーセはそうではない。
彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。
口から口へ、わたしは彼と語り合う
あらわに、謎によらずに。
主の姿を彼は仰ぎ見る。
あなたたちは何故、畏れもせず
わたしの僕モーセを非難するのか。」
民数記 12章5〜8節
主なる神が、直接アロンとミリアムを裁かれるのです。
主は、彼らに対して憤り、去って行かれ、雲は幕屋を離れた。
そのとき、見よ、ミリアムは重い皮膚病にかかり、
雪のように白くなっていた。
アロンはミリアムの方を振り向いた。
見よ、彼女は重い皮膚病にかかっていた。
民数記 12章9〜10節
病をもってミリアムに対して、それが罪であることを示されたのです。
むすび. 神がその非難の声をしっかり聞かれていると信じること
(1) 非難を受けたモーセを神が弁護してくださった
モーセは、謙遜な人物でした。
モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。
民数記 12章3節
非難されて簡単に憤るような人物では、なかったのです。
しばしば非難されていますが、非難されても受けるがままでした。
しかし神はそれをしっかりと見ておられ聞いておられたのです。
神が、ミリアムを正しくお裁きになられました。
モーセではなく、モーセを非難してしまったアロンとミリアムに
非があったのです。それを明確にしてくださいました。
モーセが弁解するまでもなく、神が弁護してくださったのです。
(2) イエス・キリストは父なる神にすべてをゆだねられた
イエス・キリストも、人々から非難され、不当な裁きを受けられました。
けれども、決してご自分で弁解も報復もなさいませんでした。
正しい裁きをなされるお方である、父なる神にすべてをゆだねておられました。
「この方は、罪を犯したことがなく、
その口には偽りがなかった。」
ののしられてもののしり返さず、
苦しめられても人を脅さず、
正しくお裁きになる方にお任せになりました。
ペトロの手紙一 2章22〜23節
イエス・キリストは、
ののしられましたが、ののしり返すことはなさいませんでした。
苦しめられましたが、人を脅すこともされなかったのです。
それは、神が正しい裁きをして下さることを知っておられたからです。
(3) 私たちは最後には神が正しい裁きをして下さると信じる
私たちも同じです。
ありもしないことで非難を受けたり、不当に非難されることがあります。
しかし、どんなに非難されようとも、それに報復したりしてはならないのです。
神がちゃんと見ておられ、聞いておられるのですから、
一切を、神の手に委ねるのです。
神が最後には、正しい裁きをして下さるのです。
神を信じて生きるというのは、そういうことなのです。
神がちゃんと見ておられ、聞いておられることを信じるのです。
そして、神が正しく裁いて下さることを信じるのです。
【今日の聖書】
「この方は、罪を犯したことがなく、
その口には偽りがなかった。」
ののしられてもののしり返さず、
苦しめられても人を脅さず、
正しくお裁きになる方にお任せになりました。
ペトロの手紙一 2章22〜23節
今日は、祈祷会を行いました。
聖書箇所は、使徒言行録5章1〜11節でした。
ところが、アナニアという男は、
妻のサフィラと相談して土地を売り、
妻も承知のうえで、代金をごまかし、
その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
使徒言行録 5章1〜2節
アナニヤとサフィラが、教会で嘘をついた話です。
ペトロに「本当にそうか」と問いただされても、嘘をつきとおしました。
その結果、ふたりともその場で死んでしまったのです。
この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。
そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。
使徒言行録 5章5節
厳しすぎるとも思える箇所です。
この出来事は、一同が聖霊に満たされ、
みんなが一つとなっていた、その時に起きた出来事です。
祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、
皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。
使徒言行録 4章31節
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、
一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、
すべてを共有していた。
使徒言行録 4章32節
聖霊に満たされ恵まれていた時にも、罠は待ち受けています。
聖霊に満たされていても、罪人であることには変わりありません。
聖霊に満たされた後でも、油断をすると罪の誘惑に陥ることがわかります。
人に良く思われようとするばかりに、教会で嘘をついてしまったのです。
罪とわかっているのに、堂々と犯してしまう故意の罪は、
神にどれだけ厳しく退けられるのかを、教えられる個所でした。
教会に神に対する恐れが起こったといいますから、
この後、そのようなことを考える人は出なかったことでしょう。
また人知れず行ったことも、神は全部見ておられるということが
教会全体に、よく認知されることになったでしょう。
その後に、12節以降が続いています。
主のみわざが進み、多くの男女が主を信じてますます増えていったのです。
使徒たちの手によって、
多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。
一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、
使徒言行録 5章12節
そして、多くの男女が主を信じ、
その数はますます増えていった。
使徒言行録 5章14節