今日のできごと


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2018/3/3(土)



なぜ預言者は迫害されたのか?

1.エレミヤをはじめ預言者たちは迫害を受けている

 旧約聖書の預言者たちは、迫害されてひどい目に会っています。
 たとえばエレミヤは、主の神殿の最高監督者である祭司イメルの子
 パシュフルによって、ベニヤミン門に拘留されます。(エレ20:1-2)

 更に、書記官ヨナタンの家の丸天井のある地下牢に入れられ、
 長期間そこに留め置かれています。(エレ37:15-16)
 ゼデキヤ王も、エレミヤを監視の庭に拘留しています。(エレ37:21)

 極めつけは、役人たちによって捕らえられて、
 監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり降ろされ
 その泥の中に沈ませられています。(エレ38:6)

2.預言者は大勢の人々の思いに反する言葉を語ったからこそ迫害された

 なぜ預言者は、こんなに迫害されたのでしょうか?
 なぜこんなにも、ひどい目に会わなければならなかったのでしょうか?
 なぜ神の言葉を語っていたにもかかわらず、同族から迫害されたのでしょうか?

 それは、預言者が語る神の言葉の内容が、
 聞いている人々の思いと、正反対だったからです。
 もし、預言者の言葉を聞いていた人々の思いと同じことを語っていたなら

 少しも迫害されることは、なかったでしょう。
 人々と迎合することなく、人々の思いとは真逆の、
 神の言葉をそのまま語っていたからこそ、迫害を受けているのです。

 罪を罪とも思わない人々の思いと、
 人々の罪を的確に指摘する預言者の言葉は、相反するものであったがゆえに
 人々から敵対視され、迫害されていたのです。

3.イエス・キリストは迫害され十字架で殺された

 イエス・キリストも、同じです。
 人々の罪を指摘し、人々に悔い改めをせまり、
 悔い改めて赦しを受けて、救われるようにと語られました。

 罪を指摘すればするほど、人々から疎まれ、憎まれ
 その結果捕らえられ鞭打たれ、十字架にかけられて
 ついに、殺されてしまったのです。

 罪を指摘された人々にとって、イエス・キリストの言葉は
 受け入れがたい言葉だったのです。
 人々の思いと真逆の言葉を語られたからこそ、十字架につけられたのです。

むすび.

 大勢の人々に反対されたとしても、それが必ずしも間違っているとは限りません。
 逆に、たった一人の言葉の方が正しい場合もあるのです。
 それは預言者やイエス・キリストだけに限りません。

 今でも同じことが、起こり得ます。必ずしも多数が正しいのではないのです。
 たった一人の言っていることが、実は正解だったということもあるのです。
 それは後になってわかってきます。エレミヤの場合もそうでした。

 イエスの場合も、3日目の復活によってはじめて
 「イエスこそ真の救い主」と、証明されたのです。
 後になって、はっきりしています。

 みんながそう思っているから、そちらが正しいと考えがちですが
 必ずしもそうではないということを、念頭に置いて、
 いつも祈りの中で主なる神に聴きながら、生きていくことが必要です。

 神の言葉を語った預言者たちは、大きな迫害を受けていましたが、
 正しいと思って迫害していた方が、実は間違っていたのです。
 大勢から反対され迫害された時、彼らは簡単にやめなかったのです。

 やめなかったからこそ、迫害され続けたのですが
 やめなかったからこそ、神の言葉が伝えられ続けたのです。
 私達も、同じです。迫害されてやめていては伝えられないのです。

 あらゆる迫害と苦難の中で、忍耐と信仰を持つことが
 私達に、求められています。
 苦難はまた、忍耐と信仰を成長させるものともなっているのです。

 【今日の聖書】
 それで、わたしたち自身、あなたがたが今、
 受けているありとあらゆる迫害と苦難の中で、
 忍耐と信仰を示していることを、
 神の諸教会の間で誇りに思っています。
 テサロニケの信徒への手紙二 1章4節


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