今日のできごと


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2018/3/4(日)



なぜ集まらなければならないのか?

 信仰を持ったら、ひとりで礼拝していればいいのでは?
 どうして集まらなければいけないのだろう?
 こんな疑問もあるかもしれません。

 私達が、ひとりでできないことは何でしょうか?
 互いに愛し合うことです。
 どうしても2人以上いないと、これはできません。

 あなたがたに新しい掟を与える。
 互いに愛し合いなさい。
 わたしがあなたがたを愛したように、
 あなたがたも互いに愛し合いなさい。
 ヨハネによる福音書 13章34節

 愛し合うことは、ひとりではできないのです。
 人は、ひとりで生きていくようにはできていないのです。
 日曜日の礼拝は、神を愛し、そして人を愛するその実践の場なのです。

 どうして月に1回とか2週間に1回ではなく、1週間に1度なのか?
 7日おきにする理由は何か?
 こんな疑問もあるかもしれません。

 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、
 いかなる仕事もしてはならない。
 あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、
 あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
 六日の間に主は天と地と海と
 そこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、
 主は安息日を祝福して聖別されたのである。
 出エジプト記 20章8〜11節

 7日目を休むというのは、十戒から来ています。
 十戒は、神からの命令だったのです。
 ただ仕事を休むのではなく、神を礼拝する日でした。

 律法を行うことによって、人が救われるのではありませんが、
 律法には、人がなすべき本来的な生き方が記されています。
 十戒によって救われるのではありませんが、

 十戒は、私達の正しい生き方を示しています。
 偶像を拝まず、神を神とすることが基本になります。
 神の名をみだりに唱えず、父と母を敬い、

 殺さず、姦淫せず、盗まず、偽らず、
 隣人の物を欲しがらずに生きるのが、本来的な生き方です。
 そして週に一度の休みと、神への礼拝も現在まで続いているのです。

 【今日の聖書】
 安息日に歩き回ることをやめ
 わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ
 安息日を喜びの日と呼び
 主の聖日を尊ぶべき日と呼び
 これを尊び、旅をするのをやめ
 したいことをし続けず、
 取り引きを慎むならそのとき、
 あなたは主を喜びとする。
 わたしはあなたに地の聖なる高台を支配させ
 父祖ヤコブの嗣業を享受させる。
 主の口がこう宣言される。
 イザヤ書 58章13〜14節


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