泣くことがあっても
確かに、涙が流れる時はあります。
泣く者と共に泣きなさいというのが、神の願いです。
泣く時に、共に泣いてくれる人がいて欲しいものです。
泣く時に共にいてくれること、そして共に泣いてくれること
そこにこそ、愛を感じます。そして感謝が沸いてきます。
そして、喜びへと続いてゆきます。
地上で生きる限り、涙がなくなることはありません。
しかしやがて行く、天の都ではどうでしょうか?
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、
神が人と共に住み、人は神の民となる。
神は自ら人と共にいて、その神となり、
彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、
もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
最初のものは過ぎ去ったからである。」
ヨハネの黙示録 21章3〜4節
涙は100%ないのです。死も悲しみも完全になくなるのです。
すなわち、人間の本来神に創られた当初の本来的姿というのは
悲しみに涙する姿ではなかったのです。
逆に、喜ぶように人間は創られているのです。
天の新しい都では、罪から完全に解放されて本来的な姿に戻ります。
そこでは、泣くことは一切なく、常に喜びがあふれているのです。
人間の本来的姿、それは神を喜んでいる姿なのです。
【今日の聖書】
主において常に喜びなさい。
重ねて言います。喜びなさい。
フィリピの信徒への手紙 4章4節