今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2018/11/5(月)



喜びを妨げるものそれは罪

1.私たちは喜びのない人生を歩んでしまいがち

 私たちは「いつも喜んでいなさい」と命じられています。

 いつも喜んでいなさい。
 テサロニケの信徒への手紙一 5章16節

 時々喜びなさい、ではないのです。
 嬉しい時にだけ、喜びなさいでもありません。
 いつも喜んでいなさいなのです。

 できるわけないですよ、と言われる方もおられると思います。
 私たちの人生を振り返ると、いつも喜んで生きて来たかと言えば
 その逆だったりします。

 いつも怒りながら生きてきた、
 いつも悲しみながら生きてきた、
 いつもがっかりしながら生きてきた...

2.喜びを妨げるものは私の内にある罪

 私たちの喜びを妨げるものは、一体何でしょうか?
 それは一言で言えば、私たちの内にある罪です。
 例えば、誰かを恨んでいたら喜べません。

 憎んでいても、同じです。
 不平不満で心がいっぱいなら、喜べないでしょう。
 恨みも憎しみも不平不満も、すべて神の前に罪です。

 復讐してはならない。
 民の人々に恨みを抱いてはならない。
 自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。
 わたしは主である。
 レビ記 19章18節

 たとえ人から悪を受けたとしても、その人を恨むことは罪なのです。
 恨むことによって、今度は自分が罪を犯すことになってしまいます。
 そして罪は、喜ぶことを妨害するのです。

 人は愛すべき相手であって、憎む相手ではないのです。

3.喜びを妨げるものは私の内にある罪責感

 もう一つ喜びを妨げるものは、
 私たちが過去犯してしまった罪に対する、罪責感です。
 「あんなことをしてしまった」という思いは、喜びを妨げます。

 罪を犯してしまった経験は、振り返ればたくさんあるはずです。
 実際に現在、その結果が現れてしまっていることもあるでしょう。
 そういう過去の罪を思うと、喜べなくなります。

むすび.キリストによって喜びを妨げる原因は取り除かれる

 喜びは、罪の解決なくしてあり得ないのです。
 自分の罪が赦され、人の罪も赦す、その両方がなければ喜べないのです。
 その両方を解決してくださるのが、イエス・キリストなのです。

 イエス・キリストは私の罪を赦すために、十字架にかかって
 血潮を流して死んで下さったのです。
 罪の解決がここにあるのです。いやここにしかないのです。

 しかし、神が光の中におられるように、
 わたしたちが光の中を歩むなら、
 互いに交わりを持ち、御子イエスの血によって
 あらゆる罪から清められます。
 ヨハネの手紙一 1章7節

 いつも喜んで生きるには、イエス・キリストによる罪の赦しを受けることが
 どうしても必要になってきます。罪の赦し無くして、喜びはあり得ません。
 自分の罪が赦された体験がないのに、人を赦すことなどできないのです。

 罪責感からの解放も、イエス・キリストの十字架による罪の赦しから来ます。
 過去犯してしまったすべての罪も、イエス・キリストは赦してくださったのです。
 もはや罪責感に苦しまなくても良いのです。赦しを信じることです。

 そうやってはじめて、喜べるようになるのです。
 単に喜びなさいと命じられているのではなりません。
 「主によって喜びなさい」なのです。

 【今日の聖書】
 主において常に喜びなさい。
 重ねて言います。
 喜びなさい。
 フィリピの信徒への手紙 4章4節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新