神が赦してくださったのに思い煩う?
人に何か迷惑をかけてしまって、謝った場合
その人が「いいですよ」と許してくれたとします。
その時に「口ではああ言ってても、本当はどうかな?」と思うでしょうか?
もし思うとしたら、許してくれた人に甚だ失礼なことです。
その人は「せっかく許したのに、あの人は信じてくれていない」
と言って悲しむことでしょう。
神は、イエス・キリストの十字架の血潮によってあなたの罪を
完全に赦してくださったのです。今も赦しておられます。
神の赦しは、信じるものに与えられます。
肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、
神はキリストと共に生かしてくださったのです。
神は、わたしたちの一切の罪を赦し、
規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、
これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。
コロサイの信徒への手紙 2章13〜14節
私たちは、本当に神はこんな罪を赦して下さるのだろうか?
と思い煩う必要はないのです。どんなに大きな罪を犯したとしても
神はイエス・キリストの十字架の血潮によって完全に赦してくださるのです。
「こんな罪は絶対に赦されない」と思い煩う必要は、全くないのです!
「私は本当に赦されているのかな」と思い煩う必要は、全くないのです!
大丈夫です。イエス・キリストの十字架の血潮は完璧な赦しを与えるのです。
【今日の聖書】
イエスはその人たちの信仰を見て、
「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
ルカによる福音書 5章20節
そして、イエスは女に、
「あなたの罪は赦された」と言われた。
ルカによる福音書 7章48節
しかし、神が光の中におられるように、
わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、
御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
ヨハネの手紙一 1章7節
わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、
罪を赦されました。
これは、神の豊かな恵みによるものです。
エフェソの信徒への手紙 1章7節
わたしたちは、この御子によって、贖い、
すなわち罪の赦しを得ているのです。
コロサイの信徒への手紙 1章14節
わたしは、彼らの不義を赦し、
もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』」
ヘブライ人への手紙 8章12節
自分の罪を公に言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、
罪を赦し、
あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
ヨハネの手紙一 1章9節
今日は、家庭集会がありました。
感謝な証しが献げられ、一同で主を崇めました。
学んだ聖書箇所は、感謝を忘れないということでした。
わたしの魂よ、主をたたえよ。
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
詩編 103編2節
毎日感謝日記をつけると良いことを、教えられました。