神が共にいて下さるのに思い煩う?
1.はじめて行ったハイキングコースで道に迷った
学生時代に、安房小湊に行きました。
そこの内浦山県民の森で合宿をしたのですが、
その時ハイキングをして、道に迷いました。
計画していた道から外れてしまい、違う所に出てしまったのです。
分岐点で行き先を間違えていたようで、もう一度そこに戻って
正しい道を進みなおしました。
2.神は共にいて人生の道案内をして下さる
知らない所に行く場合、道案内をしてくれる人がいないと迷います。
その地域を良く知っている人が一緒に居れば、安心です。
私たちの人生を導いて下さるのは、神ご自身です。
私たちは、神によって導かれる人生を歩んでいます。
私たちの人生の行くべき道は、神が示してくださるのです。
けれどももし、神から離れてしまったらどうなるでしょうか?
確実に迷います。
けれども、神から離れていかない限り大丈夫です。
私たちが神から離れないのに、神が離れていってしまうということは
これは絶対にあり得ません。
「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」
と、神が約束されているからです。
神御自身、
「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」
と言われました。
ヘブライ人への手紙 13章5節(後半)
3.神が共にいて下さるから思い煩う必要はない
ですから、思い煩う必要はまったくありません。
神が、いつもともにいてくださるのですから、
人がいかに私たちに対して悪を計画した所で、大丈夫なのです。
神が助けて下さるのです。
恐れる必要はまったくないのです。
人は私たちに、何もすることができないのです。
だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。
「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。
人はわたしに何ができるだろう。」
ヘブライ人への手紙 13章6節
むすび.神が共におられると信じれば思い煩う必要はない
神が共におられると信じれば、思い煩う必要はないのです。
神は見えません。共にいて下さるのですが、見えないのです。
ですから信仰が必要です。霊の目で共におられる神を見続けることが大切です。
今見えなくても共にいて下さる神を、霊の目を開いて見上げ
恐れずに、思い煩わずに生きていきましょう。
信じる者と神は共にいて下さるから、絶対に大丈夫なのです。
【今日の聖書】
金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。
神御自身、
「わたしは、決してあなたから離れず、
決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。
だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。
「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。
人はわたしに何ができるだろう。」
ヘブライ人への手紙 13章5〜6節