伝道と愛の関係
1.伝道することこそ人生の目的なのでは?
愛することが目的ではなく、伝道することが目的ではないのですか?
私たちは、伝道するために生きているのではないのですか?
こんな質問もあるかもしれません。
なぜ伝道するか?その動機を考えてみましょう。
伝道することを神に命じられているから、という答えもあるでしょう。
確かにイエス・キリストによって、宣教命令がなされています。
それから、イエスは言われた。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
マルコによる福音書 16章15節
2.伝道する動機は何か?
私たちはすべての行動の、動機を考える必要があります。
どういう動機で、それをしているのか?ということです。
動機が愛でなければ、一切のことは虚しいのです。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、
誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、
愛がなければ、わたしに何の益もない。
コリントの信徒への手紙一 13章3節
もし「私が熱心に伝道している姿を人が見たら、『あの人はすごいね』
と言ってくれるから、熱心に伝道するのです!」
というのであれば、それは虚しいことです。
伝道は、人からの栄誉を得るためにするものではないからです。
自己満足のために、伝道を利用すべきではありません。
3.伝道するのはその人を愛しているからに他ならない
伝道する目的は何でしょうか?
その人が滅びないで、永遠の命を得るためです。
もし、その人がキリストを知らないまま死んでしまったら
それは永遠の滅びに行ってしまうのです。
そんなことは絶対にあってはならない、何としても滅びないで
永遠の命を得て欲しいという、切なる願いで伝道します。
これが伝道の動機です。
すなわち、その人が滅びないでほしい永遠に生きて欲しいという
愛なのです。その人に対する愛が、私たちの伝道の動機なのです。
ですから伝道とは、その人に対する愛の行いなのです。
むすび.イエスを伝えることこそ最大の愛の行い
その人にとって、最も必要なことは何でしょうか?
食べること、着ること、住む家があることも必要です。
収入が定常的にあることも必要でしょう。
健康な生活ができること、自由に生きられることも必要でしょう。
安全な環境で、安心して暮らせることも大切です。
しかし最も必要なことは、罪の赦しを得て永遠の命を得ることです。
それ以上に大切なことはありません。
逆に言えば、どんなに豊かな裕福な生活が手に入れられてとしても
罪の赦しと永遠の命がなければ、まったく虚しいのです。
そういう人生の最後は、自分自身の罪が裁かれることによって
恐ろしい滅びに投げ込まれる「永遠の滅び」だけだからです。
滅びないで永遠の命を得ることこそ、人生の最重要事項なのです。
救い主イエス・キリストを信じることによってのみ、永遠の命を得る事が可能です。
他の方法はありません。
イエス・キリスト以外に、私たちが救われる道はないのです。
ほかのだれによっても、救いは得られません。
わたしたちが救われるべき名は、
天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
使徒言行録 4章12節
救い主イエス・キリストを信じることが、その人にとっての最善であって
その人を愛することが、その人の最善を求めることであるのなら
その人を愛する最も善い行動は、伝道ということになるのです。
ですから伝道するということは、その人を愛する行動に他ならないのです。
「隣人を愛する」ということは、その人がまだイエスを知らない隣人であるのなら
「イエス・キリストを伝える」ということと、同じことになるのです。
【今日の聖書】
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、
キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する愛を示されました。
ローマの信徒への手紙 5章8節