今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2018/1/25(木)



自分は生きていて良いのだろうか?

 「私はいったい何者なんだろうか?」
 「私は、何のために生きているのだろうか?」
 すべての人に共通する疑問ですが、これを普通の学校では教えてくれません。

 ですから、こういう疑問を抱いたままで、子ども時代を過ごすことになります。
 そういう疑問がある中で「受験だ!テストだ!」と成績を評価され、
 人と比べられ、人と自分を比較して自分を評価するようになっていきます。

 評価がよくないと「私はダメだ」という思いになるでしょう。
 家族に「もっと勉強して、良い結果を修めて立派な人間になれ」と言われれば
 「私は今のままではダメなんだ」と思うようになるでしょう。

 「私は、良い結果を修めて立派な人間になるべきだ」と考えるようになります。
 しかしそれでも良い結果がでないと、周囲からも親からも評価されないので
 「私はダメなんだ」という思いが強くなっていきます。

 希望校に落ちたり留年したりすると、更に拍車がかかります。
 人は合格しているのに、ちゃんと進級しているのに、自分は違う。
 「やっぱり自分は人よりもダメなんだ」という思いになってしまいます。

 そしてそれが続くと「私は人よりもダメな人間なんだ」という自己認識が、
 心の中に定着してしまいます。
 こうなってしまうと最早、自信をもって生きていけなくなります。

 卑屈になるか、自暴自棄になるか、いずれにしても
 自己イメージが低い生き方に、なってしまうでしょう。
 「私は生きていても良いんだ」という思いも薄くなっていきます。

 「私はこの世に生きていても良い存在なのだろうか?」
 「こんなダメな人間は、生きている資格がないかもしれない」
 という具合に発展してしまいます。

 「私なんて、どうでもいい存在なんだ」
 「私なんて、生きている価値がない存在なんだ」
 「私なんて、生きている資格がないんだ」と発展してしまうのです。

 私が生きていなければならない必然性を、奪われてしまうのです。
 それは勉強だけにとどまらず、あらゆる環境において起こり得ます。
 自殺が多い原因の根底に、こういう流れもあるのではないでしょうか?

 しかし神は、私たちを限りない愛で愛しておられます。
 例外なく一人も漏れることなく、愛されています。
 私たちの能力によらずに、神は愛しておられます。

 いてもいなくても良い人など、どこにもいないのです。
 私たちが、神の愛を受け取るかどうかにかかっているのです。
 あなたは神の前にどうしてもいなければならない、大切な存在です。

 【今日の聖書】
 神は、独り子を世にお遣わしになりました。
 その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
 ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
 ヨハネの手紙一 4章9節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新