理解していなかったヤコブ
1.ゼベダイの子たちの母は、息子たちを他の弟子たちより重んじてほしかった
1.1 イエスは十字架の予告を語られた
イエスは、ご自分の十字架の予告を
あらかじめ、弟子たちに語っておられました。
「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。
人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。
彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。
人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。
そして、人の子は三日目に復活する。」
マタイによる福音書 20章18〜19節
十字架で死なれた後、三日目に復活すると予告されていたのです。
1.2 ゼベダイの息子たちの母はイエスの所に来てひれ伏してお願いした
その時、ゼベダイの息子たちの母が、
その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏して願います。
そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、
その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、
ひれ伏し、何かを願おうとした。
マタイによる福音書 20章20節
1.3 二人の息子が王座の左右に着けるようにとイエスに願った
ゼベダイの息子たちの母すなわち、ヤコブとヨハネの母は
てっきりイエスがこれから、地上の王国の王座につくものとばかり
思い、息子たちを王座の左右に座らせてほしいと願ったのです。
イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。
「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、
一人はあなたの右に、
もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」
マタイによる福音書 20章21節
息子たちに、高い位を授けて欲しいという願いをしたのです。
この地上に王国ができた時に、その王国で重んじてほしかったのです。
人よりも自分たちが偉くなりたいという、極めて自己中心的な願いです。
2.イエスは彼らに、私と同じようにされても良いのかと尋ねた
2.1 イエスの答えは「わたしの飲もうとしている杯を飲めるか?」
これに対して、イエスは次のように答えられました。
イエスはお答えになった。
「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。
このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」
マタイによる福音書 20章22節(前半)
「わたしが飲もうとしている
杯を飲むことができるか。」と
逆に問いかけるのです。
2.2 イエスの言われた「杯」は「十字架での処刑」を意味していた
この
杯こそは、十字架上の苦しみと死のことでした。
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水やぶどう酒を飲むのに用いた杯, グラス,コップ |
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(c) 織田昭 電子版「新約聖書ギリシャ語小辞典」改訂第4版 |
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1) a cup, a drinking vessel
2) metaph. one's lot or experience, whether joyous or adverse, divine appointments, whether favourable or unfavourable, are likened to a cup which God presents one to drink: so of prosperity and adversity
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(c)Thayer's/Englishman's Lexicon Database |
少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。
しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
マタイによる福音書 26章39節
ゲッセマネの園で、イエスは
「この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と祈っておられます。
「十字架の死」を過ぎ去らせてほしいと、父なる神に願われたのです。
しかし父なる神の御心は、「十字架の死」でした。
そしてイエスは、「十字架の死」という杯を、受け入れられました。
その後イエスは、ピラトの裁きによって、十字架で苦しみながら死なれたのです。
2.3 イエスはヤコブとヨハネに十字架の処刑という杯を飲めるか尋ねていた
イエスはヤコブとヨハネに対して、
「私はこれから十字架にかけられて、殺されることになるが
あなた方は、それと同じような目に合うことを受け入れるのですか?」
「あなたがたは私と共に『殉教の死』を遂げることができますか?」
と尋ねられていたのです。
3.ヤコブはその答え通り殉教の死を遂げることになった
3.1 ゼベダイの子たちは「できます」と即答した
ゼベダイの子たちは何と答えたでしょうか?
二人が、「できます」と言うと、
マタイによる福音書 20章22節(後半)
何と「できます」と答えたのです。
彼らは、十字架の死のことなど念頭になかったのでしょう。
いとも簡単に答えています。
3.2 イエスは「確かにあなたがたはわたしの杯を飲むことになる」と答えた
イエスは言われた。
「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。
しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。
それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」
マタイによる福音書 20章23節
「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。」という言葉は
杯の意味がわかっていたら、とても恐ろしいことを意味することになります。
イエスは、十字架の死という杯を飲まれました。
同じように、あなたがたもされるのだということなのです。
3.3 ヤコブはヘロデ王によって剣で殺され殉教した
ヤコブはその後、どうなったでしょうか?
そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、
ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
使徒言行録 12章1〜2節
やはり殉教の死を遂げているのです。ヘロデに剣で殺されてしまいました。
「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。」と言われた
イエスの言葉は、確かに成就しています。
むすび. 主のみむねを正しく理解することの大切さ
ヤコブは、自分が何を願っていたのか理解していませんでした。
イエスが地上の王になるとばかり思って、誤解していたのです。
正しく理解していないと、正しい願いを持てないことがわかります。
「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。
人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。
彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。
人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。
そして、人の子は三日目に復活する。」
マタイによる福音書 20章18〜19節
この言葉を、正しく理解することが必要だったのです。
イエスは地上に王国を作ってそこで王になろうとしていたのではなく、
全人類の罪の身代わりに、十字架で殺されようとしていたのです。
イエスに願った時のヤコブの願いは、決して殉教の死ではなかったはずです。
殉教などせずに、この世で王座の左右に座ることだったのです。
ヤコブやヨハネの願っていたことは、見事に的を外していたのです。
私たちも同じ弱さを持っています。
いつでも、自分の理解が正しいか、祈りの中で主に聞いていく必要があります。
ファリサイ派の人々は聖書を教えていましたが、同様に的を外していたのです。
【今日の聖書】
イエスはお答えになった。
「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。
このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」
マタイによる福音書 20章22節(前半)