バプテスマのヨハネの最後
1.バプテスマのヨハネはヘロデ王によって殺された
バプテスマのヨハネは、イエス・キリストを人々に紹介し
イエスこそ神の遣わされた「神の小羊」、救い主であることを
示しました。けれども、彼の最後は凄惨な最後です。
首を切られて、殺されてしまいました。
誰がそれを命じたかといえば、それは最終的にはヘロデ王でした。
王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、
また客の手前、それを与えるように命じ、
人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
マタイによる福音書 14章9〜10節
誰がそれを求めたかといえば、それはへロディアの娘です。
すると、娘は母親に唆されて、
「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。
マタイによる福音書 14章8節
へロディアの娘が、なぜそんなことを求めたのか、といえば
それは母であったへロディアが、娘をそそのかしたからです。
ヘロデ王もへロディアも、その娘も、非常に残虐なことが伺えます。
2.罪の結果は残虐で悲惨で悍ましい
ここから見て取れることは、何でしょうか?
罪の恐ろしさです。罪の結果は、残虐で悲惨で悍ましいものです。
特に人が罪を犯しても罰する人がいない場合、それは際立ってきます。
たとえば、人がすべての権力を手中におさめた時、
その人の罪が放任されている状態であるならば、
その罪が、得た権力によって巨悪へつながるということを教えられます。
罪の結果というのは、極めて恐ろしいものです。
ただ罪を簡単に犯せないように、法律による刑罰などによって
抑えられているから、それほど目立たないだけであって
もし抑えつけているものが除かれたら、大変な状況になるのです。
人の首を、平気ではねて殺しても、何とも思わないような
結果になってしまうのです。
3.神は罪の蔓延を滅びによって止められた
ソドムやゴモラの街は、街全体が罪を容認していた罪の街でした。
ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。
創世記 13章13節
ノアの時代も同様です。
主は、地上に人の悪が増し、
常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、
創世記 6章5節
どちらも神によって、滅ぼされています。
ソドムとゴモラの上に天から火が降って、滅ぼされてしまいます。
主はソドムとゴモラの上に天から、
主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、
町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。
創世記 19章24〜25節
ノアの時代の人々も、洪水によって滅びました。
神はノアに言われた。
「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。
彼らのゆえに不法が地に満ちている。
見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。
創世記 6章13節
地上で動いていた肉なるものはすべて、
鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、
ことごとく息絶えた。
創世記 7章21節
むすび.罪を軽く考えず悔い改めて生きよう
私たちは罪を軽く考えないようにすべきです。
少しぐらい、これぐらいという安易な気持ちで妥協すると
恐ろしい結末が待ち構えています。
いつもイエス・キリストの十字架の血潮で、
罪を赦していただき、罪と妥協しない生き方を
していきたいと願います。
キリストは、いつでも悔い改める者を、
十字架で流された血潮のゆえに、赦してくださるのです。
【今日の聖書】
あなたがたも知っているように、
御子は罪を除くために現れました。
御子には罪がありません。
ヨハネの手紙一 3章5節