松江水郷祭湖上花火大会
今日は
松江水郷祭湖上花火大会が、宍道湖でありました。
自宅から、花火のあがるドーンという音が聞こえていました。
きっときれいなんだろうなあと思いながら、聞いていました。
花火は音を聞くものではなくやはり、実際に見に行かないと
その美しさを味わえません。会場まで足を運ぶ必要があります。
そこに行って初めて、その美しさを味わえます。
今年はその美しさを、実際に味わうことはできませんでしたが、
その代わりに、
動画で少し見させていただきました。
後半の連発がすごかったです。
1.実際にソロモン王の栄華を目にしたシェバの女王
聖書の中にソロモン王がでてきます。
ソロモン王のところに、シェバの女王がやって来た時に
彼女はこう言っています。
「わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、
本当のことでした。
わたしは、ここに来て、自分の目で見るまでは、
そのことを信じてはいませんでした。
しかし、わたしに知らされていたことはその半分にも及ばず、
お知恵と富はうわさに聞いていたことをはるかに超えています。
列王紀上 10章6〜7節
事前に噂ではソロモン王のことを聞いてはいたが、その栄華を信じられず、
実際に来てみてはじめて、事実を目にして驚いています。
「わたしに知らされていたことはその半分にも及ばなかった、
ソロモン王の知恵と富はうわさに聞いていたことをはるかに超えていた」と、
シェバの女王は告白しています。百聞は一見に如かずと言われていますが、
人の話を聞くより、実際に自分で直接体験するのが一番です。
2.実際にイエスに出会って信じたナタナエル
フィリポはイエスに会ったのち、ナタナエルにそのことを告げました。
フィリポはナタナエルに出会って言った。
「わたしたちは、モーセが律法に記し、
預言者たちも書いている方に出会った。
それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
ヨハネによる福音書 1章45節
しかしナタナエルは否定します。
するとナタナエルが、
「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言った
ヨハネによる福音書 1章46節
メシア(救い主)はベツレヘムから出ると、ミカ書に書いてあるからでした。
ナザレ出身者が、メシアであるはずがないと思っていたのです。
しかしその、ナタナエルにフィリポは、「来て、見なさい」と言います。
フィリポは、「来て、見なさい」と言った。
ヨハネによる福音書 1章46節
そして、ナタナエルは実際にイエスに出会い、
その会話の中で、イエスを信じたのです。
ナタナエルは答えた。
「ラビ、あなたは神の子です。
あなたはイスラエルの王です。」
ヨハネによる福音書 1章49節
3.実際にイエスの十字架を目撃して信じた百人隊長
イエスが十字架で死なれたとき、その一部始終を目撃していた
百人隊長や見張りをしていた人たちがいましたが、
十字架の際の大地震やいろいろの出来事を見て、こう言っています。
百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、
地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、
「本当に、この人は神の子だった」と言った。
マタイによる福音書 27章54節
実際に見ることが、「本当に、この人は神の子だった」という
信仰告白につながったのです。
実際に「自分自身の目で見て知る」という自分自身の体験が、
信仰につながっていることがわかります。
信仰とは、人に言われて言われるままに信じるというものではなく
自分自身で確かめて、自分自身の意志で決断することです。
受動的でなく、能動的なものなのです。
主体的なものです。
サマリアの女によってイエスに出会った人々は語っています。
彼らは女に言った。
「わたしたちが信じるのは、
もうあなたが話してくれたからではない。
わたしたちは自分で聞いて、
この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」
ヨハネによる福音書 4章42節
むすび.
私たちも、実際に自分自身で聖書を読んで、
自分自身で自分の罪に気づき、自分自身の意志でイエス・キリストを信じ
罪の赦しを自分で祈って救われるのです。
【今日の聖書】
シェバの女王は、ソロモンの知恵と彼の建てた宮殿を目の当たりにし、
また食卓の料理、居並ぶ彼の家臣、
丁重にもてなす給仕たちとその装い、献酌官、
それに王が主の神殿でささげる焼き尽くす献げ物を見て、
息も止まるような思いであった。
女王は王に言った。
「わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について
聞いていたことは、本当のことでした。
わたしは、ここに来て、自分の目で見るまでは、
そのことを信じてはいませんでした。
しかし、わたしに知らされていたことはその半分にも及ばず、
お知恵と富はうわさに聞いていたことをはるかに超えています。
列王紀上 10章4〜7節