閑散とした温泉町の再生
今日は、松江観光協会玉造温泉支部事務局長の周藤実さんから
玉造温泉を、この10年でどのように再生したかについて、
お話を伺ってきました。
1.ニーズに合わなくなったスタイルで寂れてきた
10年前の写真を見せて頂きましたが、今とは違い
おしゃれな街並みではなく、単なる温泉旅館が立ち並ぶだけの
アスファルト道の、ごく普通の、どこにでもあるような町でした。
当時の観光のスタイルは、夕方になると大型観光バスがやってきて
旅館に団体客が入り、100人規模の大宴会場で宴会をして
高級な料理を出して、温泉に入るというスタイルだったそうです。
そのようなスタイルの観光が徐々に下火になっていき、
グループでの旅行スタイルが主流になってきたため、
日中も夜も閑散として、人がほとんどいない温泉街となっていたそうです。
2.スタイルの変化に挑んだ
そこで、何とか町全体に魅力を取り戻そうということで
知名度をアップさせようということになったそうです。
その後の取り組みは、なるほどと感心することばかりでした。
詳細は省きますが、方法としては下記の通りです。
1.各種団体と連携をした 観光協会+旅館組合+企業+行政+地域住民
2.再生のために地域独自のテーマを決めた
3.すでにあるものを活用することにした
4.従来の古いやり方はやめた(イベント、ポスター、チラシ)
5.思い切って新しいやり方を取り入れた(いつ来ても大丈夫)
6.新しい客層をターゲットにしたニーズに応える定期的な広報(ネットも活用)
7.観光協会と旅館組合の役目を分け、重複を除いた(棲み分け)
行政(市の担当者)も連携したので、路面改修は行政にやってもらった。
司令塔を観光協会にして、旅館組合は「プロモーション」に徹してもらった。
環境整備(掃除など)は、各種団体や旅館の従業員の方々が分担。
3.ニーズにあったスタイルに変わって成功!
結果的に、旅館に良い印象を持っていなかった地域の人々の意識が
変わっていき、地域全体で観光客を迎える体制になっていったそうです。
その結果、86万人を割り込んでいた年間の温泉入込客数も、
右肩下がりだったのが、右肩上がりになって、
去年は100万人を超えたということでした。
今流行の民泊者数も、2016年で13000人を超えたということでした。
むすび. 地域再生の成功の秘訣は何だったか?
@各機関が連携したこと、
Aすでにあるものを大いに活用したこと、
B地域住民を巻き込んだこと、
この3つにあるのではないかと思いました。
観光客のニーズを的確に把握し、それにこたえるために
各機関が連携して考えて、役割を担って実行した結果が、
このような結果になって表れたのだと思いました。
ひとりではなく、大勢が集まって連携することの強さについて
大いに教えられた話でした。
=今日の質問=
「道路の一方通行についても、その中で実施したのですか?」と伺ったところ
その通りだということでした。けれどもはじめは反対も多かったそうです。
何で車の通らない道を一方通行にするのか!ということだったそうです。
河川の改修についても、その中で行われたのかどうか伺ったところ、
改修自体は20年前にすでに県で行われていたとのことでした。
しかし草ぼうぼうで、手入れも何もされていなかったようで、
そこを今回の活動で、地域全体を巻き込んで改善していったそうです。
【今日の聖書】
わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、
あなたがたは神の畑、神の建物なのです。
コリントの信徒への手紙一 3章9節