今日のできごと


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2017/8/28(月)



松江地域連合牧師会

 今日は、日本キリスト教団松江北堀教会で、
 松江地域連合牧師会が、開かれました。
 メッセージは、ハバクク書2章1〜4節からでした。

 1.自分の義を立てようとしてもできなかったパウロ

 見よ、高慢な者を。
 彼の心は正しくありえない。
 しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
 ハバクク書 2章4節

 これはローマの信徒への手紙1章17節にも引用されています。
 ローマの信徒への手紙は、パウロが記した手紙です。

 福音には、神の義が啓示されていますが、
 それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。
 「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
 ローマの信徒への手紙 1章17節

 パウロはファリサイ派に属していた時は、自分の義を立てようと
 頑張っていました。
 「こんなに神のために行動している自分は、正しいのだ」と。

 しかし彼のやっていたことは、逆でした。彼が迫害していたのはイエスでした。
 彼は神に反する、実に恐ろしいことをやっていたのです。
 正しいと思って熱心にやっていたことが、悪に他ならなかったのです。

 どうしようもない悪だったので、罪だと気づいた時には
 自分で自分の義を立てることなど、もはや、あり得ませんでした。
 あるのは積み重なってしまった悪の行いだけです。

 2.信仰によって義とされたパウロ

 けれどもパウロのそのような悪に対して、神はイエス・キリストの
 十字架の血潮による完全な赦しを、与えてくださったのです。
 もはやパウロ自身の行動によらず、ただ単に恵みとして義が与えられたのです。

 実に、これこそ信仰による義なのです。
 キリストに反発し、高慢で正しくありえなかったパウロが、
 キリストを信じた結果、ただ信じただけで義とされたのです。

 「しかし、神に従う人は信仰によって生きる」という言葉通りにされたのです。
 信仰によって、パウロに、神の義が外から与えられたのです。
 元々パウロの内にはなかった義が、神の側から外側から与えられたのです。

 これこそ、信仰によって義とされたということであって、
 パウロが経験し、ローマの信徒への手紙で人々に語っていることなのです。
 自分の義を立てようとしても、絶対に立ちません。

 3.神の義をいただく以外に義とされることはない

 自分の義を主張すればするほど、争いが起こってしまいます。
 神から与えられなければ、義はあり得ないんだということを
 しっかりと把握しておかなければなりません。

 神の義を求めなければ、ハバククの時代のように、
 やがて敵に攻められて、捕囚になって連れて行かれるという
 憂き目に会ってしまいます。決して捕囚になってはならないのです。

 むすび. 自己義を否定し神の義を求める

 大切なことは、私は罪人以外の何物でもありません、
 神の義を与えられなければ、私には正しい所などありませんという
 信仰の告白なのです。

 【今日の聖書】
 兄弟たち。私が心の望みとし、
 また彼らのために神に願い求めているのは、
 彼らの救われることです。
 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。
 しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。
 というのは、彼らは神の義を知らず、
 自分自身の義を立てようとして、
 神の義に従わなかったからです。
 キリストが律法を終わらせられたので、
 信じる人はみな義と認められるのです。
 ローマの信徒への手紙 10章1〜4節(新改訳聖書)


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