今日のできごと


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2017/8/10(木)



主の御心が何であるかを悟りなさい

 1.酒に酔いしれてはならない

 イエスがカナの婚礼で、水をぶどう酒に変えられたので
 酒を飲むことは、特に問題ないことだ、いや奨められているのだと
 思われるかもしれません。

 しかし酒は、身を持ち崩す元凶となることが、他の個所で記されています。
 エフェソの信徒への手紙5章で、パウロは教会の人々に
 「酒に酔いしれてはなりません。」と命じています。

 酒に酔いしれてはなりません。
 それは身を持ち崩すもとです。
 エフェソの信徒への手紙 5章18節 (前半)

 酒は、大きな危険をはらむものです。
 一杯でやめることができる人は、よほど意志の強い人でしょう。
 二杯、三杯と続くうちに、止まらなくなったりしないでしょうか?

 気が付いたら、目が覚めて朝になっていて
 泥酔した後のことを、ほとんど思い出せなかったり
 うろ覚えになっていたりしているのではないでしょうか?

 2.神の国を受け継ぐことができなくなる危険

 2.1 肉の業を敢えて行おうとする人は、神の国を受け継げない

 泥酔や酒宴は、人を欲望の虜にし神から遠ざけます。
 肉の欲のままに生きることは、決して神の御心ではありません。
 神の国を受け継ぐことができない、と語られています。

  5:19 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、
  5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、
  利己心、不和、仲間争い、
  5:21 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。

 以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、
 このようなことを行う者は、
 神の国を受け継ぐことはできません。

 ガラテヤの信徒への手紙 5章19〜21節

 厳しい言葉です。
 神は人間を肉の欲のままに、自己中心のままで
 生きるように造られたのではないからです。

 2.2 キリストは肉の業から解放してくださった

 イエス・キリストは、そのような生き方をしていた私たちを
 十字架の血潮で赦して、そのような中から解放してくださったのです。
 そして自己中心でなく、隣人を愛して生きるようにしてくださったのです。

 信じたなら肉の欲に従うのではなく、神と人を愛して生きるのです。
 そのような生き方で、信仰を表すのです。
 「イエス・キリストを信じます」と言いながら、以前と同じように

 姦淫や泥酔など、肉の欲望のままに生きているとするなら、それは
 赦されて解放される前の生き方と、何ら変わらない生き方をして
 その行動で、赦しと解放を否定してしまうことになってしまうのです。

 2.3 肉の業に生きることは、赦されたと信じつつも人を赦さないのと同じ

 それは、十字架の血潮による赦しを信じたにもかかわらず、
 人を赦さないでいるのと、同じです。「人を赦さないでいる」というのは
 その「隣人を赦さないという行動」を通して、実は「自分も赦されていません」

 「わたしはキリストの赦しを信じていません」ということを、
 表明してしまうことななってしまうのです。
 赦されましたという信仰を「赦さない」という行動で、

 否定してしまうことになるのです。
 ですから、キリストによって赦されたと信じるなら
 人を赦すことによって、その信仰を表すのです。

 すべての罪を赦されたと信じるなら、人のすべての罪を赦す生き方をします。
 人によって分け隔てをしませんし、一部だけゆるして
 あとはゆるさない、ということもしません。

 2.4 信じた通りに行動し、行動で信仰を表す

 赦されて、欲に生きる生き方から解放されたのなら、
 愛に生きる者とされたのなら、そのように行動してその信仰を表します。
 酒でなく神が真の喜びと平安を与えてくれると信じたら、神を求めるのです。

 3.はじめから飲まない

 飲酒は、正しく自動車を制御して運転することをできなくします。
 車だけではありません。自分自身を制御することも、できなくしてしまうのです。
 酔った勢いで...という事件をよく聞きます。

 酒に酔いしれてはなりません。
 はじめの一杯を飲まなければ、決して泥酔に至ることはありません。
 一杯でやめておこうと思って、飲んだにもかかわらず、

 ついつい前後不覚にというのが、私たち人間の弱いところです。
 はじめから、飲まなければいいのです。
 自分はやめられると過信すると、危険です。

 むすび. 酒よりも素晴らしいもの

 酒は肉体に、一時的な快楽をもたらします。
 けれども、それは一時的であり、わたしたちに
 本来的な喜びや平安をもたらしてはくれません。

 人間の本来的に必要としている、愛も喜びも平安もそれは酒からではなく
 聖霊からくるものです。

  5:22 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、
  寛容、親切、善意、誠実、
  5:23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
 ガラテヤの信徒への手紙 5章22〜23節

 酒ではなく、聖霊を求め、聖霊に満たされて
 酒などでは決して得られない、喜びと平安を体験していきましょう。
 聖霊による喜びは、一時的でなく永遠に続くのです。

 【今日の聖書】
 だから、無分別な者とならず、
 主の御心が何であるかを悟りなさい。
 酒に酔いしれてはなりません。
 それは身を持ち崩すもとです。
 むしろ、霊に満たされ、
 詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、
 主に向かって心からほめ歌いなさい。
 エフェソの信徒への手紙 5章17〜19節


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