今日のできごと


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2016/8/10(水)


 聖書の中に、金持ちとラザロの話が出てきます。
 イエス様が語られた話なのですが、「たとえで語られた」とは
 記されていませんので、たとえ話ではなく実話でしょう。

 「ある金持ちがいた。
  いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、
  毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

  この金持ちの門前に、
  ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
  その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。

  犬もやって来ては、
  そのできものをなめた。
  やがて、この貧しい人は死んで、

  天使たちによって宴席にいるアブラハムの
  すぐそばに連れて行かれた。
  金持ちも死んで葬られた。

  そして、
  金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、
  宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、
  はるかかなたに見えた。
 ルカによる福音書 16章19〜23節

 1.貧しくつらい人生を歩んだラザロの最後

 今の言葉でいえば、生前の金持ちは「勝ち組」
 生前のラザロは「負け組」と呼ばれるでしょう。
 ラザロの人生は、死ぬまで富むことなく貧しい人生でした。

 加えて、できものだらけで苦しむ人生でした。
 横たわりとありますから、起き上がることも
 ままならなかったのでしょう。

 苦しくつらい人生です。
 しかし彼は、死後アブラハムのそばに連れていかれます。
 アブラハムは、信仰の父とも呼ばれるほどの信仰者でした。

 ということは、ラザロも神への信仰を持ち続けていたのです。
 ラザロは、貧しくできものだらけのつらい人生を送りつつも、
 神への信仰を捨てなかったのです。

 結局、地上の人生を終えて、アブラハムのいる宴席に
 連れていかれました。生前の苦しみから解放され
 喜びと楽しみに満ちている宴席についたのです。

 2.毎日ぜいたくに遊び暮らしていた金持ちの最後

 一方、金持ちはどうだったでしょうか?
 「金持ちは陰府でさいなまれながら」とあります。
 金持ちの行った先は、さいなまれるところでした。

 さいなまれるとは「ひどく苦しめられる」という意味です。

 そこで、大声で言った。
 『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。
  ラザロをよこして、指先を水に浸し、
  わたしの舌を冷やさせてください。
  わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』
 ルカによる福音書 16章24節

 その苦しみは炎の中で、もだえ苦しむ苦しみだというのです。
 金持ちは陰府で、炎の中でもだえ苦しんでいたのです。
 金持ちは、神ではなく金を土台にして人生を歩んだのです。

 3.本当の勝ち組は神を信じた者たち

 人生の最後は、地上ではありません。
 地上を去ったのちに、どこに行くかが問われています。
 アブラハムのいる宴席に行くのか、炎の中に行くのか?

 この地上で多くの資産を得たかどうかは、まったく関係ないのです。
 この世でいう「勝ち組」「負け組」という基準は、無関係です。
 本当の「勝ち組」はイエス・キリストを信じた者たちです。

 神様は、すべての人が真の意味で「勝ち組」になって、
 ご自身のもとに帰ってきてほしいと、願っておられるのです。
 しかし、富は大きな誘惑になってしまいます。

 「信じなくても、こんな快適な暮らしができるじゃないか!」
 それゆえ、「金持ちが神の国に入るよりも、
 らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言われているのです。

 金持ちが神の国に入るよりも、
 らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
 マルコによる福音書 10章25節

 むすび.

 人生の目的は、お金を貯めることではありません。
 愛することです。神を愛し、隣人を愛して生きることが目的です。
 イエス・キリストを信じることなしに、それはできません。

 まず神の愛の賜物である、イエス・キリストを信じることです。
 そしてキリストからいただく愛によって、
 愛する人生を、生涯歩んで行くのです。

 【今日の聖書】
 金持ちになろうとする者は、
 誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。
 その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。

 金銭の欲は、すべての悪の根です。
 金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、
 さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。
 テモテへの手紙一 6章9〜10節


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