浸礼
バプテスマのヨハネが洗礼を授けていたのは、ヨルダン川でした。
イエス・キリストは、バプテスマのヨハネから洗礼を受けると
「水の中から上がられた」と書いてあります。
ですから水の中に入って、洗礼を受けられていたことがわかります。
水の中に入って、洗礼を受けるということですから
ただ水の中に入るだけではなく、入ったのちに何かをされていた
ということになります。
入ったのちに何をされていたのでしょうか?
@何もされず、ただヨハネに祈られていたのでしょうか?
A頭か、体に水をかけられていたのでしょうか?
Bそれとも、一旦水の中に沈められていたのでしょうか?
@だとすると、わざわざ水の中に入る意味がありません。
Aだとしても、ただ水をかけられるだけなら水を汲んでおいても可能です。
Bのように体全体を水に沈めるのだとしたら、どうでしょうか?
人を沈めるだけの水を地上で用意するとなると、
浴槽のようなものが必要になり大変です。
人が漬かれる位の川であれば、ちょうど良かったことでしょう。
川の中でなければならない理由が、Bの場合が一番合理的で自然なのです。
洗礼(バプテスマ)という言葉の意味は、「全身水没」という意味です。
ですから私たちは、洗礼を全身を水没させて行う浸礼で行います。
それは、キリストともに罪に死んで、永遠の命によみがえることを
表しているのです。一旦水の中に沈むことが死を表し、
水からあげられることが、新しい命に生きることを表すのです。
【今日の聖書】
イエスは洗礼を受けると、
すぐ水の中から上がられた。
そのとき、天がイエスに向かって開いた。
イエスは、神の霊が鳩のように
御自分の上に降って来るのを御覧になった。
マタイによる福音書 3章16節