今日のできごと


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2017/7/4(火)



苦難の日、わたしはお前を救おう

 苦難について、詩編50編14〜15節に次のような言葉があります。
 ヘブライ語聖書 詩編50編14〜15節
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 1.新共同訳聖書の訳

 1.1 新共同訳の本文そのまま

 告白を神へのいけにえとしてささげ
 いと高き神に満願の献げ物をせよ。
 それから、わたしを呼ぶがよい。
 苦難の日、わたしはお前を救おう。
 そのことによって
 お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」
 詩編 50編14〜15節

 この内容を図に示すと次のようになります。

 神に告白せよ + 神に献げ物をせよ → 神を呼べ → 神は苦難の日に救う → 神の栄光

 1.2 「告白」という言葉を別訳にした場合
 ここで「告白」と訳されている言葉は、BDB辞書に次のように説明されています。
 
 神への賛美や感謝というニュアンスの言葉です。
 告白と訳すより、感謝と訳した方が自然のようです。
 ですから、新改訳聖書や口語訳聖書では「感謝」と訳されています。

 告白を感謝と訳し直してみると、意味としては次のような流れになります。
 「神に感謝し献げ物をしてから神を呼べ。そうしたら苦難の日に救おう。」

 神に感謝せよ + 神に献げ物をせよ → 神を呼べ → 神は苦難の日に救う → 神の栄光

 ただ単に「苦難の時に神を呼ぶ」というのではなく、
 神を呼ぶ前に「神に感謝をささげて、神に献げ物をささげなさい」
 「それから、わたしを呼ぶがよい」というニュアンスになります。

 1.3 「献げ物」という言葉を別訳にした場合

 @「満願の献げ物」と訳されている言葉は「誓い」という意味がある

 ここで、新共同訳の「満願の献げ物」と訳されている言葉は、
 新改訳聖書では「誓い」と訳されています。
 同じ言葉でも、「神に満願の献げ物を献げる」という意味と

 「神に誓いを果たす」という意味の2通りの意味に訳せるようです。
 「神に満願の献げ物を献げる」=「神に誓いを果たす」なのでしょうか?
 この言葉はBDB辞書によると、次のように説明されています。

 

 旧約聖書で60回出てくる中で、vow が58回, vowed が2回となっています。
 offering(献げ物)よりも、vow(誓い)の意味が強いことがわかります。
 新共同訳では、誓いの意味を含む「votive offering(満願の献げ物)」と
 訳しています。

 この言葉は、創世記28章に初めて出てきます。
 ヤコブが、ベテルで神に請願を立てた箇所ですが、
 その箇所の「誓願」という言葉が、この言葉と同じ言葉なのです。

 ヤコブはまた、誓願を立てて言った。
 「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、
  食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、
  主がわたしの神となられるなら、
  わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、
  すべて、あなたがわたしに与えられるものの
  十分の一をささげます。」
 創世記 28章20〜22節

 A「誓い」は本人の内面の強い意志表示
 「誓い」は、決して破られたり,いいかげんなものであってはならないものです。
 神は誓いを決して破られることはありません。
 そのように、人が神に対する誓いも、必ず果たさなければならないものです。

 もし神に対して「〇〇します」という誓いをするならば、
 それは実に重大な宣言であり、誓った以上果たすべき責任が生じてきます。
 そこには形式ではなく、本人の真剣な意志の存在が必須となってきます。

 B神の求められるのは形式ではなく内側にある心
 詩編50編8〜13節で、神は動物の献げ物について、
 たとえそれをあなたが献げようと献げまいと、元々神のものであるから、
 神にとってそれが必要不可欠なのではないと説明しています。

 わたしはお前の家から雄牛を取らず
 囲いの中から雄山羊を取ることもしない。
 森の生き物は、すべてわたしのもの
 山々に群がる獣も、わたしのもの。
 詩編 50編9〜10節

 神は、雄牛の肉や雄山羊の血が欲しいので
 「わたしにささげなさい」と言われているわけではないのです。

 わたしが雄牛の肉を食べ
 雄山羊の血を飲むとでも言うのか。
 詩編 50編13節

 雄牛の肉や雄山羊の血ではなく、それらの動物を献げる時に伴う
 内側にある献げる心、感謝の心を求められているのです。
 「あなたの心から出てくる感謝を、内面的なものをささげなさい」なのです。

 動物の犠牲をささげるという、形式的な表面的な外面的なことではなく、
 感謝の犠牲という、内面的なものをささげなさいというのです。
 「私に対するあなたの心を、ささげなさい」と願われているのです。

 神が求められているのは、形式的な献げ物ではなく
 私たちの心であり、意志であることがわかります。
 動物ではなく、私たちの心をささげるのです。

 2.新改訳聖書と口語訳聖書の訳

 2.1 新改訳聖書の訳

 詩篇50篇14〜15節は、新改訳聖書の訳では、
 以下のようになっています。

 感謝のいけにえを神にささげよ。
 あなたの誓いをいと高き方に果たせ。
 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。
 わたしはあなたを助け出そう。
 あなたはわたしをあがめよう。」
 詩編 50編14〜15節(新改訳)

 新共同訳とは異なり、3つの文がバラバラに独立した形で並記されています。
 1.感謝せよ、2.誓い(献げ物)を果たせ、3.神を呼べ
 神を呼ぶ前の前提条件としてではなく、並列です。

 1.神に感謝せよ。
 2.神に誓いを果たせ。
 3.苦難の日に神を呼べ → 神は助ける → 神をあがめる

 2.2 口語訳聖書の訳

 口語訳も、同様の訳になっています。

 感謝のいけにえを神にささげよ。
 あなたの誓いをいと高き者に果せ。
 悩みの日にわたしを呼べ、
 わたしはあなたを助け、
 あなたはわたしをあがめるであろう」。
 詩編 50編14〜15節(口語訳)

 新改訳と口語訳の意味内容は、ほぼ同じです。

 2.3 新改訳聖書と口語訳聖書の意味する所

 (1) 神に感謝せよ。
 (2) 神に誓いを果たせ。
 (3) 苦難の日に神を呼べ → 神は助ける → 神をあがめる

 これらの3つの文が、単に列挙されているだけで、
 相互関係は、ほとんどないように受け取れます。
 新共同訳のように、(1)と(2)を実行して、それから(3)をするというような

 お互いの文同士の密接な関係が、見られません。

 3.新改訳や口語訳の訳と新共同訳の訳の根本的な違い

 3.1 文の基本的な構造理解が違っている

 新改訳や口語訳の訳と、新共同訳の訳の違いは、
 「誓い」を「献げ物」としたり「感謝」を「告白」にしたりという
 言葉の意味の訳し方の差だけではありません。

 「苦難の日に」という句が、「どの言葉を修飾しているか」という、
 文の基本的な構造理解の差にあります。「苦難の日に」という句が
 「呼べ」にかかっているのか「救おう」にかかっているのか、の違いです。



 「苦難の日に」の修飾先の違いによって、文の切れ目が変化します。

 3.2 A.「苦難の日に呼べ」と理解する場合

 新改訳と口語訳の場合は、「苦難の日に」を「呼べ」にかけているので、
 文は、「救う」と「苦難」の間で切れます。



 ですから、「苦難の日に呼べ→そうしたら救おう」という訳になるのです。

 3.3 B.「苦難の日に救おう」と理解する場合

 新共同訳の場合は、「苦難の日に」を「救う」にかけているので、
 文は「日に」と「呼べ」の間で切れることになります。



 ですから「それから呼べ→そうしたら苦難の日に救おう」という訳になります。
 ということで、新共同訳では、どうしても15節の内容が、
 直前の14節の内容を、受けざるを得ない流れになっているのです。

 そうなると、14〜15節の3つの文が、
 一連の流れによって続くことになります。
 3つが互いに結び合って、1つの意味内容を構成する形になります。

 「感謝せよ、献げ物を献げよ、それから神を呼べ」となります。あるいは別訳で
 「感謝せよ、誓いを果たせ、それから神を呼べ」となります。
 単なる3文の列挙よりも、本来の意味を表しているようにも、感じられます。

 むすび. 苦難の日に主を呼べば助けられる

 詩編50編14〜15節の解釈は、新共同訳と新改訳で異なりますが、
 いずれにせよ、苦難の日に主を呼ぶことが命じられていますから
 苦難が来ても、うろたえたり、あわてたりすることなく

 主を呼び求めて、平静でいる者となることが求められています。
 苦難の日が来ても、その苦難の日に主を呼べば、
 主がその苦難から助けてくださるという、信仰を持つことが求められています。

 詩編50編はアサフの詩ではありますが、56編のダビデの詩でも  同じように「感謝(告白)」と「誓い(献げ物)」が使用されています。

 神の御言葉を賛美します。
 主の御言葉を賛美します。
 神に依り頼めば恐れはありません。
 人間がわたしに何をなしえましょう。
 神よ、あなたに誓ったとおり
 感謝の献げ物をささげます。
 詩編 56編11〜13節

 苦難がやって来ても、神に依り頼めば恐れはないのです。
 いつでも心を主に献げていく人には、助けを呼び求める時に
 必ず主は救いを与えられるのです。

 【今日の聖書】
 告白を神へのいけにえとしてささげ
 いと高き神に満願の献げ物をせよ。
 それから、わたしを呼ぶがよい。
 苦難の日、わたしはお前を救おう。
 そのことによって
 お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」
 詩編 50編14〜15節


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