出雲国風土記「国引き神話」
今日は、地方史学者、島根県立大学短期大学部名誉教授の藤岡大拙先生から
出雲国風土記「国引き神話」について教えて頂きました。
松江市内には、「くにびき」と名の付くものがいろいろあります。
「くにびき大橋」「くにびきメッセ」などが、よく目につきますが
はじめて来られた方にとっては、きっと「くにびきとは一体何のこと?」
という疑問がわいてくることと思います。
これは、出雲国風土記の中にある、国引き神話から来ている言葉ですが
国引き神話は、古事記にも日本書紀にも記されていません。
出雲国風土記だけなので、全国的に見てもあまり知られていないようです。
けれども松江に住んでいて「国引き神話」を知らないとなると
これは、地域に関する知識不足と言われても致し方ありません。
そこで今日は「国引き神話」について、詳しく教えて頂きました。
簡単に言えば、島根半島というのは、
八束水臣津野命という
とてつもない大男が、出雲地域拡大のために、新羅と能登半島と隠岐の島から、
4つの土地を引いてきて造った、人工的な半島であるという話になります。
その時の綱を結んだのが大山と三瓶山で、綱が薗の長浜と弓ヶ浜だという、
ものすごいスケールの大きな話です。ところが、島根半島をグーグルマップの
航空写真で上から見ると、まさに4分割されているのがわかるのです。
地質学的にも、4つのそれぞれの土地の地質が、それぞれ異なっており
それらの各地質が、引いてきたと言われている元の土地の地質とほぼ同じで
その下の地層も、あたかも日本海側から引いてきたかのように褶曲しており、
境界部分には宍道断層などの断層が形成されていて、
引いてきた綱が浜になったと言われている部分は、東西共に
確かに島根半島までの部分が、平地の浜になっていて起伏がないことなど
「本当にあったのか!?」と思えてしまうほど、実に不思議な話ではあります。
これについては、研究者たちがいろいろな学説で説明しようとしていますが、
今の所、日本の国土自体が、大陸から移動したという説が主流のようです。
聖書によれば、ノアの洪水時に地球は一旦水に覆われていますから
現在の日本の部分もすべて、水没していたことになります。
水没する前の日本の形が、今の形であったかどうかはわかりませんが、
ノアの洪水前後で、地球表面は大きく変化していたと考えられます。
洪水直後の土地が、水を含んで軟弱で流動的だったとすると、
もしかすると、大きな土塊の移動も起こり得たのかもしれません。
【今日の聖書】
洪水は四十日間地上を覆った。
水は次第に増して箱舟を押し上げ、
箱舟は大地を離れて浮かんだ。
水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、
箱舟は水の面を漂った。
水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、
およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。
水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、
山々を覆った。
創世記 7章17〜20節