イエス・キリストの流された血潮
 今日は祈祷会でした。
 今日の聖書箇所は、ヨハネの黙示録14章14〜20節でした。
 ここでは神が罪人を裁かれたことによって、その血が流れています。
 そこで、その天使は、
 地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、
 これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた。
 搾り桶は、都の外で踏まれた。
 すると、血が搾り桶から流れ出て、
 馬のくつわに届くほどになり、
 千六百スタディオンにわたって広がった。
 ヨハネの黙示録 14章19〜20節
 本来、罪人の人間は例外なく罪の裁きを受けねばならない存在でした。
 罪の裁きによって、血を流されなければならなかったのです。
 しかしその血を、身代わりに流してくださった方がおられるのです。
 それが、神の御子イエス・キリストです。
 イエス・キリストが、十字架で流された血潮によって
 私たちは赦されたのです。
 信じるだけで罪の赦しを受けられるようになったのです。
 イエス・キリストの十字架の血潮こそ、私たちの罪を赦すために流された
 血潮であって、それこそが神の愛のしるしなのです。
 もはや私たち人間が、自分の血を流す必要はないのです。
 
【今日の聖書】
 こうして、ほとんどすべてのものが、
 律法に従って血で清められており、
 血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。
 ヘブライ人への手紙 9章22節