今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2017/5/11(木)



地上に人を造ったことを後悔されるほどの罪

 1.ノアの時代は人々の罪によって非常に堕落していた

 犯罪を犯しても、何の刑罰もなくなったとしたらどうなるでしょう?
 罪を野放しにすると、いったいどうなるでしょう?
 人間は、どんどん悪い方へ悪い方へと流されていってしまうでしょう。

 ノアの洪水の前が、まさにそのような状態でした。
 地上には悪が増え、人々は堕落し、不法が満ちていったのです。
 神が洪水で滅ぼさなければならないほど、悪が満ちていたのです。

 この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。
 神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、
 すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。
    創世記 6章11〜12節

 2.人間を創らなければ良かったというレベル

 ノアの洪水前の世界は、悪に満ち堕落の一歩を辿っていました。
 それは神が「地上に人を造ったことを後悔される」ほどの悪でした。
 「こんなことなら人間を創らなければ良かった」というレベルなのです。

 主は、地上に人の悪が増し、
 常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、
 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
    創世記 6章5〜6節

 3.私たちの罪も同じ

 私たちは「ノアの時代の人々はひどかったんだなあ」と
 ノアの洪水前のできごとを、他人事として見ることはできません。
 私たちも、洪水前の人々と同じ罪人なのです。

 人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。
    創世記 8章21節(抜粋)

 私たちが生まれながらもっている罪というのは、
 私たちが考えているよりも、はるかに大きく俗悪なものなのです。
 放っておいたら、悪が地に満ちて大変な状況になってしまう程のものなのです。

 そして自分自身の罪を、自分ではどうすることもできないというのが
 私たちの苦しむところなのです。
 パウロもそれで苦しんでいます。

 わたしは、自分のしていることが分かりません。
 自分が望むことは実行せず、
 かえって憎んでいることをするからです。
    ローマの信徒への手紙 7章15節

 わたしは自分の望む善は行わず、
 望まない悪を行っている。
    ローマの信徒への手紙 7章19節

 本来してはならない罪を、行ってしまう自分に気付いています。
 望んでいないのに、思わずやってしまう自身の弱さを暴露しています。

 そして、そういうことを行っているのは、
 もはやわたしではなく、
 わたしの中に住んでいる罪なのです。
    ローマの信徒への手紙 7章17節

 それこそが、自分の中にある罪なのだとパウロは語るのです。
 そして絶えずその罪が戦いをしかけ、自分をとりこにしてしまうのだ
 というのです。

 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、
 わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。
 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。
 死に定められたこの体から、
 だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
    ローマの信徒への手紙 7章23〜24節

 むすび.巨悪を産み出す罪を完全に赦されるイエス

 誰がこの罪から私を救ってくれるだろうか?
 とパウロは問いかけます。そしてその答えを示すのです。
 イエス・キリストが救ってくださるのですと示します。

 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。
    ローマの信徒への手紙 7章25節(抜粋)

 イエス・キリストに依らない限り、罪をどうすることもできません。
 イエス・キリストに依れば、どんなにその罪が大きくても見事に赦され、
 私たちは、罪と死との法則から解放されるのです。

 【今日の聖書】
 従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、
 罪に定められることはありません。
 キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、
 罪と死との法則からあなたを解放したからです。
 ローマの信徒への手紙 8章1〜2節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新