うまくいくはずがない
1.すべての人が罪人である
聖書には、すべての人が罪人であると書かれています。
次のように書いてあるとおりです。
「正しい者はいない。一人もいない。
ローマの信徒への手紙 3章10節
「正しい人がひとりもいない」ということは、すべての人が、
神の前に罪人だということです。
すべての人が罪人だとすると、一体どういうことになるのでしょうか?
2.すべての人が罪人ということはどういうことか?
たとえば、新しい学校に入学したとします。
同じクラスになったクラスメートが、全員罪人なのです。
良いことをしたくても、どうしても悪いことをしてしまう人の集まりなのです。
教師を含めて誰も『私に対して
良いことをし続けてくれる人』などいないのです。
『私に
悪いことをしてこない人、私の
悪口を言わない人』などいないし
誰もが『必ず私に
悪いことをする人』である」ということなのです。
逆に言えば、私も周囲の人に「良いことをし続ける」ことはできないし
「悪いことをしてしまったり、悪口を言ってしまったり」してしまうのです。
私自身も人に対して「必ず悪いことをしてしまう」ということなのです。
自分が謝らなければならない状況が、必ずやってくるし、
人をゆるさなければならない状況も、必ずやってくるということになります。
けれども「謝りたくない」「絶対にゆるせない」そういう罪人の集まりなのです。
3.罪が解決されないままでは物事がうまくいくはずがない
すべての人が罪人ということは、
罪人が何人集まって、何をやったとしても、うまくいくはずがないのです。
どうしてもうまくいかない、けんかしたり分裂したりしてしまうのです。
学校だけでなく、家庭も、地域も、職場も、果ては海外のどこに行っても
そうなのです。必ず、うまくいかなくなってしまうのです。
罪人だからです。
出会って、恋愛をして、幸せいっぱいで、
本当に幸せそうな結婚式を挙げたとしても、罪人と罪人が
一緒になるのですから、うまくいくはずがないのです。
かわいい赤ちゃんが生まれたとしても、赤ちゃんも罪人です。
良いことは教えなければできないのに、教えてなくても、
悪いことは、どんどんするようになっていくのです。
罪人として生まれ、罪を持ったまま育ちますから
罪の解決なしに完全にうまくいく子育てなど、本来あり得ないのです。
子どもから、罪を取り除くことはできません。
罪が解決しない限り、夫婦も親子も友人もうまくいかないのです。
罪が解決しない限り、家庭でも社会でもどこに行っても問題が起こり、
どこに行っても、物事がうまくいかないのです。それが当然なのです。
むすび.すべての人に罪の解決が必要不可欠
それでは「どうせみんな罪人だから」と、あきらめたらいいのでしょうか?
決してそんなことはありません。
罪が放置されてしまったら、恐ろしい結果が待っているだけです。
罪の解決が、何としても必要なのです。
罪の解決は、イエス・キリストにあります。
イエス・キリストは、十字架の死によって罪の赦しを与えてくださいました。
さらに罪を抑えて生きていくための、助けも与えてくださいます。
イエス・キリストを信じるときに、助け主である聖霊が
私たちの内にいてくださり罪を犯さないようにと、助けてくださいます。
私たちすべての罪人に、何としても必要なのは、救い主イエス・キリストです。
イエス・キリストを信じて、助け主である聖霊によって助けられてはじめて
罪から解放された人生を、歩むことができるようになるのです。
今日もイエス・キリストを信じて、聖霊によって歩んでいきましょう!
【今日の聖書】
わたしが言いたいのは、こういうことです。
霊の導きに従って歩みなさい。
そうすれば、
決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラテヤの信徒への手紙 5章16節
今日は、牧師館で祈祷会が開かれました。
全国聖会参加者から、恵みの証しを聞きともに感謝しました。
今日も各人の祈祷課題と、病気やけがの癒しのため祈りました。
全国聖会の中で、聖霊は共同体に働くことを教えられましたが、
共に集まって祈ることは、聖霊が働かれる大きな機会となりますので、
今後も祈祷会を大切にしていきましょう。