今日のできごと


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2017/4/27(木)



途方に暮れる必要はなかった

 イエスが葬られた墓に、マグダラのマリアほか数名の女性たちが
 遺体に香油を塗りに出かけます。
 しかし、墓の入り口が開いていて、遺体が見つかりませんでした。

 そのため彼女たちは、途方に暮れてしまいました。
 せっかく香油を持ってきたのに、イエスの遺体がそこにない。
 この時、女性たちは、途方に暮れる必要があったのでしょうか?

 まったくなかったのです。その逆でした。
 なぜなら遺体がないのは、イエスが復活したからに他ならなかったからです。
 途方に暮れるのではなく、喜び踊るべきことだったのです。

 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。
 まだガリラヤにおられたころ、
 お話しになったことを思い出しなさい。
 ルカによる福音書 24章6節

 私たちも、同じことが起きているのではないでしょうか?
 途方に暮れてしまって、もうどうしていいかわからない、
 これからどうしたらいいのだろうか?

 本来、喜び踊るべき出来事なのにもかかわらず、
 途方に暮れてしまっているのではないでしょうか?

 聖書を見ていくと、ものすごく大きな主のみわざは、
 一見すると悲しむべきことの後にやってきます。
 ラザロの生き返りの前には、絶望的なラザロの死がありました。

 パンが増える奇蹟の前には、パンが十分ないという状況がありました。
 ぶどう酒の奇跡の時も、ぶどう酒がなくなるという状況がありました。
 嵐を静める奇蹟の時も、嵐に翻弄されるという状況がありました。

 旧約聖書も同様です。
 ルツとボアズの結婚の前には、モアブでの苦しみがありました。
 ダビデが王になる前は、サウル王に命を狙われるという苦しみがあったのです。

 すべての苦しみは、途方に暮れてもいいようなものでしたが
 いずれもその必要はなかったのです。
 私たちも同じです。

 神様が共におられる以上、途方に暮れる必要など少しもないのです。
 必要なことは、信じることだけです。
 神を信じて、その素晴らしいみ業を待ち望んでいきましょう!

 【今日の聖書】
 そして、週の初めの日の明け方早く、
 準備しておいた香料を持って墓に行った。
 見ると、石が墓のわきに転がしてあり、
 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。
 そのため途方に暮れていると、
 輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。
 ルカによる福音書 24章1〜4節


 今朝は、地域の牧師の早天祈祷会が開かれました。
 聖書箇所は、出エジプト記15章でした。
 見ないで信じて賛美することを、学びました。

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