今日のできごと


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2017/4/19(水)



神の言葉は、口には甘く腹には苦い

 1.神の言葉は甘い

 1.1 詩編に見る神の言葉の甘さ「蜜よりも甘い」

 聖書には、神の言葉が甘いという表現が出てきます。

 @詩編19編
 主の律法は完全で、魂を生き返らせ
 主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
     (中略)
 金にまさり、多くの純金にまさって望ましく
 蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。
 詩編 19編8〜11節

 A詩編119編
 あなたの仰せを味わえば
 わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。
    詩編 119編103節

 1.2 エゼキエルが食べた巻物は「蜜のように甘かった」

 エゼキエルもケバル川の河畔で、天が開けるのを見ますが、
 その時、神の言葉の巻物を食べるように言われて
 それを食べると、蜜のように甘かったと言っています。

 Bエゼキエル書 3章
 彼はわたしに言われた。
 「人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。
  この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい。」
     (中略)
 わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。
    エゼキエル書 3章1〜3節

 1.3 神の言葉は神の愛によるので甘い

 神は限りない愛をもって、私たちを愛してくださっています。
 ですから語られる言葉も、私たちにとってはこの上もなく甘く、
 心地よいものであり、私たちは本来その甘い神の言葉によって

 神の愛を知り、喜びをいただき、平安をいただき、
 希望をいだいて、生きていくものなのです。
 神の愛の言葉は、本来、甘いはずなのです。

 2.神の言葉は腹には苦い

 2.1 神の言葉は口には甘かったが腹には苦かった

 ヨハネの黙示録では、
 ヨハネが天使から巻物を受け取って食べた時のことが
 次のように記されています。

 わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、
 食べてしまった。
 それは、口には蜜のように甘かったが、
 食べると、わたしの腹は苦くなった。
 ヨハネの黙示録 10章10節

 ここでヨハネは、口には甘かったが腹には苦かったと語っています。
 「神の言葉が甘い」というのは、詩編やエゼキエル書と同じですが、
 「神の言葉が腹には苦い」という表現は、詩編などには見られません。

 ヨハネの黙示録にだけ見られる、独特なものです。
 なぜ神の言葉は、口に甘いのに、腹には苦いのでしょうか?
 甘さと苦さは相反するものです。

 2.2 腹は肉的な欲望を象徴している

 黙示録10章で「腹」と訳されている言葉は、
 ギリシア語では「コイリア」と言います。
 腹とか胎などの意味がある言葉です。

 この言葉は、他の個所ではどう使われているでしょうか?

 @フィリピの信徒への手紙
 彼らの行き着くところは滅びです。
 彼らは腹を神とし、
 恥ずべきものを誇りとし、
 この世のことしか考えていません。
 フィリピの信徒への手紙 3章19節

 キリストの十字架に敵対して歩んでいる者は、
 「腹を神としているのだ」と、指摘されています。
 もう一か所見てみましょう。

 Aローマの信徒への手紙
 こういう人々は、
 わたしたちの主であるキリストに仕えないで、
 自分の腹に仕えている。
 そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって
 純朴な人々の心を欺いているのです。
 ローマの信徒への手紙 16章18節

 「キリストに仕える」ことと、「腹に仕える」こととが
 相反する事柄として、説明されています。
 言い換えると、腹に仕えることはキリストに仕えないことだというのです。

 2.3 自己中心的な欲望に対して神の言葉は苦い

 神は愛です。
 そして神の言葉は、愛の言葉です。
 愛は自分の利益を求めません。

 愛は忍耐強い。愛は情け深い。
 ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
 礼を失せず、自分の利益を求めず、
 いらだたず、恨みを抱かない。
 コリントの信徒への手紙一 13章4〜5節

 腹は、欲望の満たしをもって満足します。
 人の腹が膨れるだけで、自分の腹が膨れなければ
 腹は満足しません。腹が立つだけです。

 しかし愛は、自分でなく人を生かすものなので、
 自分ではなく人の腹を満たすために、自分が犠牲になります。
 ですから、腹と愛とは、相反することになるのです。

 したがって、神の愛の言葉は、
 腹にとっては苦いもの、ということになってくるのです。
 腹にとっては、神の言葉はまったく逆のものなのです。

 3.聖霊が腹を抑制する

 3.1 聖霊の結ぶ実は節制

 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、
 喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、
 節制です。
 これらを禁じる掟はありません。
 ガラテヤの信徒への手紙 5章22〜23節

 聖霊は、節制の実を結ばせます。
 腹の欲望を、聖霊がコントロールしてくれるのです。
 欲望よりも神の言葉を優先した生き方が、聖霊によって可能になります。

 3.2 生ける水が腹から流れる

 イエス様は、聖霊が腹から流れ出ると言われました。

 わたしを信じる者は、
 聖書に書いてあるとおり、
 その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
 ヨハネによる福音書 7章38節(口語訳)

 この生ける水こそ、聖霊のことだったのです。

 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている
 御霊をさして言われたのである。
 すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、
 御霊がまだ下っていなかったのである。
 ヨハネによる福音書 7章39節

 聖霊は私たちの欲望の元である腹から、流れ出るのです。
 本来欲望が流れ出す腹から、聖霊が流れ出るのです。
 聖霊は腹の欲望を神の力によって抑制し、

 私たちが神の言葉によって、生きるようにしてくださるのです。
 欲望によって生きるのではなく、私たちが欲望を抑えて
 神の言葉によって生きるようにするのが、聖霊の働きなのです。

 3.3 自分の力ではない

 自分自身の力では、どうしても腹を抑制できないですが
 神の力によって、腹すなわち肉の欲望が制御され、
 神の言葉によって生きることができるように、変えられてゆきます。

 むすび.神の言葉を受けて聖霊の力で生きる

 私たちは、自分の欲望に対しては相反する神の言葉を
 苦いから吐き出すのではなく、苦くても受け止め、
 神の言葉に従って生きていくのです。

 それは自分の力ではできませんが、
 聖霊の助けによってできるようになっていくのです。
 いよいよ聖霊の力を頂いて、腹に苦い神の言葉を喜んで受け取って

 神の愛に生きてゆくものとなっていきましょう。
 それこそが、本来の神の愛の甘さを味わう道でもあるのです。
 そしてその生き方の最後には、素晴らしい報いが備えられているのです。

 【今日の聖書】
 そこで、天使のところへ行き、
 「その小さな巻物をください」と言った。
 すると、天使はわたしに言った。
 「受け取って、食べてしまえ。
  それは、あなたの腹には苦いが、
  口には蜜のように甘い。」
 ヨハネの黙示録 10章9節


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