十字架刑の責任はピラトにあった
群衆は、イエスを十字架につけよと大声で叫びました。
けれども、群衆にイエスを十字架につける権限はなかったのです。
それは祭司長たちや、長老たち、議員たちも同じです。
最終的な権限は、総督ポンテオ・ピラトに与えられていました。
ピラトは、最終的にこう言いました。
「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」
そしてイエスを十字架につけるために引き渡してしまいます。
群衆が多数で迫ったから、ピラトの責任が消失したのでしょうか?
いくら群衆が叫ぼうが喚こうが、ピラトの権限は変わりませんでした。
したがって、ピラトが「この人の血について、わたしには責任がない。」
と言ったところで、責任がなくなったわけではなかったのです。
ピラトの責任だったのです。
責任者として、自分の責任で決定しなければならなかったのです。
その責任は、たとえ群衆が激しく叫び続けたところで
群衆の誰にも、転嫁できないものでした。
ピラトはイエスを十字架に引き渡すという愚かな決断をしてしまいましたが
その罪の責任を唯一引き受けてくださる方が、おられました。
ピラトが引き渡してしまったイエス・キリストです。
イエス・キリストは、ピラトのためにも十字架で血を流されたのです。
ピラトがイエスを信じたかどうかは、わかりませんが
もしピラトがその後、イエスを信じ受け入れたとしたなら、
赦しを与えられたはずです。
イエス・キリストの十字架以外に、責任から逃れることはできませんが
十字架によれば、完全な赦しが与えられることは間違いないからです。
【今日の聖書】
ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、
かえって騒動が起こりそうなのを見て、
水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、わたしには責任がない。
お前たちの問題だ。」
マタイによる福音書 27章24節