今日のできごと


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2017/12/27(水)



自分にできなくても

 イエスは72人を選んで、町や村に2人づつ遣わしました。

 その後、主はほかに七十二人を任命し、
 御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
 ルカによる福音書 10章1節

 1.イエスに遣わされた72人は神の力で守られていた

 その時にイエスは、次のように言われました。

 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。
 それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。
 ルカによる福音書 10章3節

「狼の群れに小羊を送り込むようなもの」と言うのです。
 小羊にとって、狼一頭でもひとたまりもありません。
 それが、狼の群れに送り込むと言われているのです。

 一体どういうことなのでしょうか?
 小羊だけでは、当然やられてしまいます。
 狼の餌にするために、小羊を送り出されたのではないはずです。

 狼よりもっと強い誰かが、一緒にいたらどうでしょうか?
 たとえ小羊が弱くても、やられないのです。
 72人は、自分の力でなく力強い神のみ手で守られていたのです。

 2.イエスに遣わされた72人は神によって養われていた

 さらに、続けてこう言われています。

 財布も袋も履物も持って行くな。
 途中でだれにも挨拶をするな。
 ルカによる福音書 10章4節

 財布も袋も持って行くな、というのです。
 途中の食糧や宿泊費をどうするのでしょうか?
 断食して、野宿して過ごせとでも言うのでしょうか?

 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、
 また飲みなさい。
 働く者が報酬を受けるのは当然だからである。
 家から家へと渡り歩くな。
 ルカによる福音書 10章7節

 旅先の家で出されるものを、食べなさいと言うのです。
 それが、福音宣教の報酬だというのです。
 もはや完全に、旅先の家に依存する形です。

 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、
 その町の病人をいやし、また、
 『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。
 ルカによる福音書 10章8〜9節

 自分に何もなくても、神が旅先の家の人々に働かれて
 彼らを養ってくださることを、保証しておられたのです。
 だから、財布も袋も持たなくても大丈夫だったわけです。

 3.イエスに遣わされた72人は神の力で癒しを行った

 遣わされた72人に対する命令は、次のようなものでした。
 「その町の病人をいやし、また、
 『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」

 『神の国はあなたがたに近づいた』と言うことは誰にでもできます。
 けれども、病人を癒すなどということは、普通はできないことです。
 病人を治すのは医者ですが、72人全員が医者だったとは書かれていません。

 なぜ医者でもない人々に、病人をいやせなどと命じられたのでしょうか?
 彼らは自分の知恵と力では、病人をいやすことはできなかったでしょう。
 できないことをしなさいと、イエスが言われるはずがありません。

 彼らにはできたのです。なぜでしょうか?
 神が彼らに、病人をいやす力を与えられたのです。
 だから、いやすことが可能だったのです。

  むすび.

 72人は、イエスによって遣わされました。
 それは「狼の群れに小羊を送り込むようなもの」でしたが、
 神によって守られました。

 「財布も袋も持って行くな」と言われましたが、
 ちゃんと神が養ってくださいました。
 「病人をいやしなさい」と言われましたが、

 神が彼らに、病人をいやす力を与えられたのです。
 自分に力がなくても、お金がなくても、癒す力がなくても、
 神が与えてくださったから、守られ養われいやすことができたのです。

 私たちも同じです。
 自分になくても、大丈夫です。
 必要なことは、イエスを信じて求めて与えられたものを使うことなのです。

 【今日の聖書】
 「求めなさい。そうすれば、与えられる。
  探しなさい。そうすれば、見つかる。
  門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、
 門をたたく者には開かれる。
 マタイによる福音書 7章7〜9節 (前半)


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