今日のできごと
2016/12/27(火)

今日は、地域の牧師の早天祈祷会がありました。
今日の聖書箇所は、ルカによる福音書22章7〜13節でした。
「神の導きと私たちの忠実な行動」について教えられました。
過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。
イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、
「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。
二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、
イエスは言われた。
「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。
その人が入る家までついて行き、
家の主人にはこう言いなさい。
『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」
とあなたに言っています。』
すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、
そこに準備をしておきなさい。」
二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、
過越の食事を準備した。
ルカによる福音書 22章7〜13節
1.神は将来のことをすべて知っておられ導かれるお方
1.1 イエス様は一見変わった命令をされた
イエス様は、過越の食事の準備のためにペトロとヨハネを遣わしますが
その時の、彼らに対する場所の指示が、変わっています。
「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。
その人が入る家までついて行き、
家の主人にはこう言いなさい。...」
1.2 イエス様は将来起きることを事前に知っておられた
イエス様が、将来起こることを、知っておられたことがわかります。
しかもペトロとヨハネが、その人とちょうど出会うことも、
知っておられました。出会うときには、両方とも移動中なのにです。
1.3 神様は将来を定められ導かれるお方
神様は、将来起きる偶然に見えるような出会いを
あらかじめ定めておられ
出会いを導かれることがわかります。
ピリポとエチオピアの宦官の時も、そうでした。
イエス様降誕時の、神殿でのシメオンとの出会いの時もそうでした。
神様は、将来のことをすべて知っておられ導かれるお方です。
2.一見主の働きと無関係に見えることが重要だった
2.1 単に水瓶を運ぶことが重要な道案内になっていた
ペトロとヨハネは、水瓶を持った男性に出会い、彼についていきました。
水瓶を持った男性は、ここで大きな役割をしています。
彼は、ただ単に水瓶をもって運んでいただけです。
しかしそれが、イエス様の過越の食事(最後の晩餐)の会場の
道案内になっていたのです。
ペトロとヨハネは、彼についていきました。
ついていくという言葉は、同行するという意味もあるようですが
文字通り後からついていくという意味合いの言葉ですので
特に声をかけるでもなく、単に後をついていったのでしょう。
としたらどういうことになるでしょうか?
この水瓶を運んでいた男性は、何も知らないままで
大切な奉仕をしていたことになります。
一見何の変哲もない水瓶を運ぶという作業が
実は「主の最後の晩餐の準備をするための道案内」という
非常に重要な主への奉仕をしていたことになるのです。
2.2 水瓶を運んでいた男性は何も知らなかった
家に着くとペトロとヨハネは、家の主人に対して
「部屋はどこか」と尋ねています。
水瓶を運んでいた男性に対してではありません。
とすると、もしかすると水瓶を運んでいた男性は、
何も知らないまま、その作業を終えていたかもしれません。
自分がどれ程重要な役目をしていたかも知らず、
何の自覚もないままでいたかもしれません。
そして、自分は何の重要な役にもつけない、
重要な仕事もできない小さな存在だと思っていたかもしれません。
2.3 日常茶飯事が重要な主の働きにつながっていた
私たちも、もしかするとそういうことがあるかもしれません。
こんな雑用のように見える作業ではなく、もっと重要なことがしたい。
誰が見てもよくやっていると思われるような、仕事をしたい。
誰が見ても神様のために働いていると思えるような、伝道をしたり
賛美や証や説教をしたい、そう思うかもしれません。
こんな雑用みたいな小さな作業など大したことがないと思うかもしれません。
しかし、実はその作業自体が、大きな意味を持つものなのかもしれません。
小事に忠実な者は大事にも忠実であるといわれていますが
小事に見えることを忠実に行うことの大切さを思います。
もしあの時、水瓶を運んでいた男性が、寄り道していたら、
もしあの時、彼が途中でやめていたら、引き返していたら、
ペトロとヨハネは最後の晩餐の準備ができなかったのです。
3.神は必要なものをすでに備えておられる
3.1 必要な会場はすでに整えられていた
ペトロとヨハネが、彼の入っていく家に着くとどうだったでしょうか?
まさにイエス様がおっしゃっておられたように、
家の主人は、席の整った二階の広間を見せてくれたのです。
町の中でちょうど出会った水瓶を運んでいた男性が、
イエス様の言われた通りの男性だったのです。
町の中で、他にも水瓶を運んでいる人はいたでしょう。
しかしちょうど出会ったその人が、まさに晩餐会場の関係者だったのです。
そして、その家にはちゃんと席が用意されていたのです。
何も依頼しなくても、用意されていたのです。
3.2 ペトロとヨハネは信じて出かける必要があった
はじめにイエス様は、ペトロとヨハネに対して
「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われましたが
その場所は、すでに整えられていたのです。
ペトロとヨハネに必要だったのは、自分ではわからなくても
イエス様の言葉に従って、出かけて行って
過越しの食事の準備することでした。
3.3 神様は必要なものをすでに整えていてくださる
打ち合わせも何もない中で、すでに部屋は整えられ用意されていました。
神様は、備えてくださるお方です。神様の不思議な導きを覚えます。
神様はご自身に従う者に、すでに用意してくださっておられるお方です。
イサクをささげた時のモリヤの山を思い出します。
アブラハムは目を凝らして見回した。
すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。
アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、
息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
創世記 22章13節
主の山には備えがあったのです。
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ
(主は備えてくださる)と名付けた。
そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
創世記 22章14節
むすび.
それでは、私たちに必要なことは何でしょうか?
神様は、私たちに素晴らしい将来を約束してくださり、
すでに備えていてくださっています。そのことを、信じることです。
そして何も見ていなくても、ペトロとヨハネのように、
イエス様の言葉を信じて、イエス様の言われた通りに
行動することです。
水瓶を運んでいた男のように、一見主の働きと関係ないような
小さなことにおいても、忠実に行っていくことです。
その働きをその行動を、主が大いに用いてくださるのです。
忠実に行動することです。
その時私たちは、主の素晴らしい約束の成就を体験することになるでしょう。
必要なことは信じることと、その信仰を行動に移すことなのです。
【今日の聖書】
ペトロがこう話しているうちに、
光り輝く雲が彼らを覆った。すると、
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。
これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
マタイによる福音書 17章5節