十字架の上での愛の言葉
イエス・キリストは、十字架の上で誰を愛されたでしょうか?
1.自分を十字架につけて殺そうとする人々を愛された
されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、
犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。
人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
ルカによる福音書 23章33〜34節
「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」
とは誰の赦しを求めているのでしょうか?
自分を、殺そうとしている人たちです。
ご自分を十字架につけて、殺そうとしている人たちが、
神に赦されるようにと、彼らの赦しを求めているのです。
十字架の上で、キリストは、自分を殺す者を愛されたのです。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
マタイによる福音書 5章44節
この言葉を、ご自身が実行なさって模範を示されたのです。
イエスは、ご自分を十字架につけて殺そうとする人々を愛されたのです。
2.自分を見捨てて逃げて行った弟子を愛された
十字架のそばに弟子がいたことが、記されています。
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、
母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
それから弟子に言われた。
「見なさい。あなたの母です。」
そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
ヨハネによる福音書 19章26〜27節
弟子の名前が出てきませんが、愛する弟子とあることから
ヨハネと考えられています。
ヨハネでなくとも、弟子と言えば、全員がゲッセマネの園で
イエスを見捨てて、逃げて行っていますので
イエスにとっては、自分を見捨てた裏切り者ということになります。
肝心な時に、自分自身の保身に走って、自分を置き去りにし逃げてしまう
それが、イエスの弟子たちの偽らざる姿だったのです。
その弟子のひとりに対して、自分が死んだあとに残される母マリアを
信頼して託しているのです。
イエスは、自分を見捨てて逃げて行った弟子を愛されたのです。
【今日の聖書】
わたしのいましめは、これである。
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互に愛し合いなさい。
ヨハネによる福音書 15章12節