今日のできごと


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2017/11/30(木)



エペソの教会のためのパウロの祈り

 パウロが、エペソの教会の人々のためにどう祈っていたかについては、
 エペソ人への手紙3章に記されています。

 こういうわけで、わたしはひざをかがめて、
 天上にあり地上にあって「父」と呼ばれている
 あらゆるものの源なる父に祈る。
 エフェソの信徒への手紙 3章14〜15節 (口語訳)

 1.内なる人を強くしてくださるように

 1.1 人間は元々が弱いので強くされなければならない

 どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、
 力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、
 エフェソの信徒への手紙 3章16節

 筋トレをしたり、マラソンをしたり、水泳をしたりして体を鍛え
 トレーニングをして体力をつけることは、肉体にとって有益です。
 適度な運動は、健康維持に欠かせません。

 それと同時に内なる人も、強くされなければならないということです。
 ということは、「私たちの内側は元々弱い」ということに他なりません。
 ですから、現状維持ではなく、強くされなければならないのです。

 1.2 御霊によって強くされる

 この聖書の箇所から、「人は御霊によって強くされる」ということがわかります。
 御霊は人を強くするのです。力強い神の、その霊だからです。
 ですから、神の御霊を受け御霊に満たされる必要があります。

 強くなりたいと思うなら、御霊すなわち聖霊を求めればよいのです。
 求める者に、聖霊を与えてくださるのが、神様だからです。

 このように、
 あなたがたは悪い者でありながらも、
 自分の子供には良い物を与えることを知っている。
 まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
 ルカによる福音書 11章13節

 1.3 神の力によって強くされる

 逆に言えば、聖霊抜きで内なる人が強くなることはあり得ないということです。
 人間の努力と意志だけで、内側を強くすることはできません。
 体は努力で鍛えられても、内面は努力では強くならないのです。

 部活を頑張れば強い自分になるか?といえばなりません。
 確かに県大会や全国大会に出場し、優勝するかもしれません。
 しかし、技術的に上達し、肉体的苦しさを乗り越えられるようになったとしても、

 真に心の中まで強くなるということは、あり得ません。
 身体を鍛えれば、心の内に湧き上がる怒りや欲望を制する力も養えるのか?
 そうはなりません。逆に怒りや欲望が試合で戦う動機となっていたりします。

 肉体を鍛えることと、内なる人が強められることとは根本的に違うのです。
 「部活をやれば、体と共に精神も鍛えられ立派な人間になれる」
 と言われた時代も確かにありましたが、そうではなかったのです。

 自制が効かない弱い人間の、内側を強くするためには、
 肉体的力とは違う、また別の力が必要になってくるのです。
 そしてそれが、自分の中には元々存在していないのです。

 いくら弱い自分を変えたいと思っても、自力では不可能なのです。
 力を与え、内なる人を強くしてくださるのは、神のみです。
 「神の力によって強くされる」というのが、基本原則です。

 それ以外にはないのです。
 パウロはその神の力で、エペソの人々が強められるようにと祈っているのです。
 たとえ横綱になったとしても、神の力を受けなければ内なる人は弱いままです。

 【今日の聖書】
 こういうわけで、わたしはひざをかがめて、
 天上にあり地上にあって「父」と呼ばれている
 あらゆるものの源なる父に祈る。

 どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、
 力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、

 また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、
 あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、
 すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、
 深さを理解することができ、

 また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、
 神に満ちているもののすべてをもって、
 あなたがたが満たされるように、と祈る。
 エフェソの信徒への手紙 3章14〜19節


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