行いではなく信仰によって救われる
神に喜ばれることをしようとすることは、大切なことですが
それによって人が救われるわけでは、ありません。
救いは、イエス・キリストを信じることだけによります。
他に何も必要ありません。
どう信じればよいかといえば
まず自分自身の罪を認め、その罪のために身代わりになって、
イエスが十字架で死んでくださって、赦しを与えてくださった
と信じればよいのです。
信仰だけです。立派な行いをする必要はありません。
ガラテヤの教会は、ここから外れてしまい律法を行わなければ
救われないという考え方が、教会に入り込んでしまっていました。
そのことをパウロは、ガラテヤの信徒への手紙で指摘しているのです。
【今日の聖書】
けれども、人は律法の実行ではなく、
ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、
わたしたちもキリスト・イエスを信じました。
これは、律法の実行ではなく、
キリストへの信仰によって義としていただくためでした。
なぜなら、律法の実行によっては、
だれ一人として義とされないからです。
ガラテヤの信徒への手紙 2章16節