なぜ祈るのか?
1.絶えず祈りなさい
「絶えず祈りなさい」と聖書に書いてあります。
絶えず祈りなさい。
テサロニケの信徒への手紙一 5章17節

この「絶えず」という言葉は「絶え間なく、途切れることなく」という意味です。
「時々」でもなければ「気が付いたら」でもないのです。
朝と9時と昼と3時と夕と夜の、6度というのでもありません。
1日中祈りながら生活している、ということになります。
静かに目をつぶってじっと座って祈る時間だけが、祈りではないのです。
生活の中で、神に祈りながら生きていくということです。
2.なぜ祈ることが必要なのか?
なぜ、祈りが必要なのでしょうか?
なぜ、私たちは神に祈り求めなければ、ならないのでしょうか?
答えは簡単です。自分にないからです。
自分の内には良いものが宿っていないということと、
良いことをなそうとしても、自分の力ではできないことを
パウロは自覚していました。
わたしは、自分の内には、
つまりわたしの肉には、
善が住んでいないことを知っています。
善をなそうという意志はありますが、
それを実行できないからです。
ローマの信徒への手紙 7章18節
更にパウロは、神によって
自分自身が、まったく頼りにならないことも教えられています。
パウロはそのことを、コリントの教会への手紙に記しています。
わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。
それで、自分を頼りにすることなく、
死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。
コリントの信徒への手紙二 1章9節
「神を頼りにするようになりました」とありますから、
それ以前は「自分を頼りにする」面が、抜けていなかった
ということです。知識、能力、経験に頼る面があったようです。
3.どうやって教えられた?
パウロは、どうやって自分自身が頼りにならないことを
教えられたでしょうか?
苦難です。苦難を通して教えられています。
兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、
ぜひ知っていてほしい。
わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、
生きる望みさえ失ってしまいました。
コリントの信徒への手紙二 1章8節
耐えられないほどひどく圧迫されて、
生きる望みさえ失ってしまうような苦難を通して
自分に頼らず、全面的に神に頼るべきことを教えられたのです。
自分の中には、頼れるものが何もないという事実に気づいたのです。
真に頼れるのは、神のみであるということに気づいたのです。
自分にないということに気づくことから、祈りは始まるのです。
むすび.私にはわからずできなくても、神は全知全能
今この状況で「私が何をすべきなのか」それを神はご存知です。
でも、私にはわからないのです。
わからないままに行動すると、的を外してしまうのです。
神の願っておられることを理解する力と、それを実行していく力の両方が、
私にはないのです。しかし神にはあるのです。そして与えてくださるのです。
求めなさい、そうすれば与えられます。それが神の約束です。
だから幼子が、親により頼むように神に求めるのです。
その答えを頂いて、神の愛と素晴らしさを体験してゆくのです。
神様は本当にすごいお方です。祈りの答えを通してそれを体験できます。
【今日の聖書】
絶えず祈りなさい。
テサロニケの信徒への手紙一 5章17節