今日のできごと


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2017/1/13(金)



罪を犯さずに生きることは不可能

 すべての人が罪人であるという前提に立つと、
 どういう考え方になるでしょうか?

 1.私はどこかで必ず罪を犯してしまう

 「わたしはどこかで必ず罪を犯してしまう存在なんだ」と考えます。
 ですから、いつでも「謝ろう!」という
 心構えをしているようになります。

 そして実際に悪いことをしてしまったり、言ってしまった時には
 心構えの通り「謝ろう」ということになって謝るのです。
 自分が罪人であるという意識ですので、すぐに謝ることができます。

 「私が絶対に正しい、悪いのは他の人だ」と言って、
 自分を正当化し、人の責任にしてしまうことの反対です。
 アダムは自分の罪をエバのせいにしてしまいました。

 アダムは答えた。
 「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、
  木から取って与えたので、食べました。」
 創世記 3章12節

 これは「自分は悪くありません」と言っているのと同じです。
 すべての人が罪人であるとすれば、当然自分自身も罪人だと考えます。
 ですからアダムのような考えを捨てます。

 2.人も必ず私に対して何か罪を犯すはず

 さらに、「わたしの周りの人はみんな罪人だ」と考えますから
 「人が私に良いことしかしないということは、あり得ない」と考えます。
 「必ず私に対して悪いことを言ったりしたりしてしまうはず」と考えます。

 どんな人でも、私に対して一切悪を行わないということは
 できるわけがなく、どんなに立派に見える人でも、
 「私に対して、良いことしかしない」ということは不可能だと考えます。

 ですから「彼は私に良いことができない場合もある」と想定して
 「もしそうなっても、とにかくゆるそう」と考えて備えます。
 たとえそれが、優しい家族であったとしてもです。

 自分も同じだからです。
 いつでも「ゆるそう!」という心構えでいるのです。
 完璧な人など、どこを探してもいないのです。

 3.相手が罪を犯さないと考えるとゆるせなくなってしまう

 「あの人は絶対に私に罪を犯さない」と考えてしまうとゆるせなくなります。
 あの人が私に悪いことをするはずはないと思っていたのに...
 ゆるせない!となってしまうのです。

 これは「あなたは私に対して、罪をまったく犯さないでいることができます」
 だから「私に対して、少しも罪を犯さないで生きてください」
 と要求しているのと同じです。

 それは「正しい者はいない。一人もいない。(ロマ3:10)」
 という聖書の言葉を否定してしまっているのと同じです。
 相手も自分同様、罪人なのです。そのことを覚えている必要があります。

 人は、どんなに親しくても、よくよく注意していたとしても、
 絶対にどこかで、相手に対して罪を犯してしまう存在です。
 人の罪というのは、思っている以上に大きく深いものなのです。

 むすび.罪を犯さないで生きるための力を神に求める

 イエス・キリストによって罪を赦されたとしても、
 完璧に正しいことだけを行って、生きてゆくことは不可能です。
 悲しいことに、それが罪人である私たちの真の姿です。

 しかし人にはできないことも、神にはできます。
 だから、罪を犯さないで生きるための力を神に求めて祈ります。
 絶えず祈るのは、このためでもあります。

 祈り求めて、罪を犯すことができるだけ少なくなってゆくように
 力をいただいて、生きていくのです。
 そして、「人をゆるさないという罪」からも離れて生きていくのです。

 【今日の聖書】
 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
  人を罪人だと決めるな。そうすれば、
  あなたがたも罪人だと決められることがない。
  赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
 ルカによる福音書 6章37節


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