今日のできごと


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2017/1/12(木)



すべての人が罪人

 1.すべての人が例外なく罪人

 1.1 聖書の中に見る「すべての人が罪人である」という言明

 聖書には正しい者はひとりもいないと、はっきりと書いてあります。

 「正しい者はいない。一人もいない。
 ローマの信徒への手紙 3章10節

 さらに、人はみな罪を犯している状態だとも書かれています。

 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
 ローマの信徒への手紙 3章23節

 1.2 犯罪者だけでなく全員が罪人

 悲しいことに、すべての人が罪人であるというのが現実です。
 ニュースなどで、毎日のように犯罪の報道がなされていますが、
 犯罪を犯してしまったから、罪人なのではなく、

 すべての人が、生まれながらにして罪人なのです。
 もともと罪人だから、あるきっかけでそれが行動に現れてしまって
 犯罪になっているだけであって、実際のところ

 犯罪を犯す可能性は、誰もが持っているものなのです。
 ある人だけが特別に罪人なのではありません。
 そして自分自身も例外ではありません。ここが悲しい所です。

 決して犯罪者だけが罪人なのではないのです。

 1.3 イエス様の言葉に見る「すべての人が罪人である」という指摘

 イエス様も、そのことを指摘しておられます。
 特定の人だけが罪人なのではないことを、語っておられます。

 イエスはお答えになった。
 「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、
  ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
  決してそうではない。

  言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、
  皆同じように滅びる。
 ルカによる福音書 13章2〜3節

 2.多くの人は自分は正しいと錯覚している

 ところが一般社会では、特定の人だけが罪人という考え方をします。
 犯罪を犯した人が罪人で、そうでない人は「罪人ではない」とみなします。
 学校でも、「すべての人が罪人だ」などとは決して教えません。

 逆に「悪いことをしない正しい人になりましょう」と教えます。
 ですから目立つような悪いことをしていないうちは、
 「自分は正しい人間なんだ」と、勘違いしてしまうのです。

 正しい人になることは、本来は無理なはずです。
 もともと罪人なのにそんなことが、できるわけがないのです。
 ところができているように錯覚します。

 なぜでしょうか?

 3.自分は正しいと錯覚している人も罪人だとイエスは指摘された

 罪を隠して、正しい振りをしているからです。
 自分は正しいと、見せかけているに過ぎないのです。
 しかし、正しい振りをすると、ほかの人からは正しいと思われます。

 そのため、他の人が私を正しいとみているから、
 私は正しいんだ、と錯覚してしまうのです。
 律法学者たちとファリサイ派の人々がそうでした。

 律法学者たちとファリサイ派の人々、
 あなたたち偽善者は不幸だ。
 杯や皿の外側はきれいにするが、
 内側は強欲と放縦で満ちているからだ。
 マタイによる福音書 23章25節

 イエス様は、「あなたは罪人です」ということを厳しく指摘しています。
 自分でどんなに努力したところで、正しい振りはできても
 根本から正しい生き方をすることは、できないのです。

 もともと罪人だから、罪人ではない「振り」はできても
 正しい人には、決してなり得ないのです。
 罪を隠して正しい振りをすること自体が、偽善という罪なのです。

 イエス様はそこを、正しく指摘されたのです。
 勘違いしてはいけない「あなたも罪人の一人ですよ」と
 指摘されたのです。

 むすび.キリストはすべての人の罪を赦すために十字架で死なれた

 その罪を完全にすべて赦してくださるために
 イエス・キリストは十字架にかかってくださったのです。
 ここに救いがあります。罪人だけれども赦される道が備えられたのです。

 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、
 キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
 神はわたしたちに対する愛を示されました。
 ローマの信徒への手紙 5章8節

 イエス・キリストを信じる人は、生まれながらの罪をすべて
 完全に赦されます。罪がなくなるわけではないのですが、
 罪人なのに赦されるのです。無償の神様からの恵みです。

 【今日の聖書】
 「キリスト・イエスは、
 罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、
 そのまま受け入れるに値します。
 わたしは、その罪人の中で最たる者です。
 テモテへの手紙一 1章15節


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